4回生の振り返り〜盲亀の浮木〜
- 2021/12/31
- 21:47
こんにちは。関西大学体育会弓道部四回生の中尾大輝です。
このブログは、既に選手として引退し、卒部間近である私が、自身の四年間を綴るだけの、自分語り100%のブログとなっておりますので、興味のない方にはブラウザバックを推奨させていただきます。それでも読んで下さる方は、しばしお付き合い下さいませ。
そもそも私が弓道部に入ることを決めたのには、他の大学に行っていた、ある古い友人の影響が大きくありました。入学してからの約一か月間、授業を受けて帰るだけの生活をしていた私は、時間を大きく持て余していました。丁度そんな時に食事に誘ってくれたのがその友人です。部活に入り、忙しくも充実した生活の話を聞かせてくれた友人に倣い、私も部活に入ることを決めました。弓道を選んだのは、運動部であることと、初心者でも始めやすいことが理由でした。よくある理由だと思います。
一回生の期間は色んなことに慣れるのに精一杯で、正に光陰矢の如し、といったものでした。
二回生の期間は一番やる気に満ちていたと思います。というのも、当時の幹部に部活を辞めろと言われたのです。勉学に重きを置き、また体調を崩しがちだった私は、部活動に身を入れることが出来ていませんでした。大変だった時期に宣告された「辞めろ」の言葉は、反抗心にも似たやる気に繋がったのです。朝から閉めまで道場にいて練習したり、約一か月間矢数が一番だった時期があったり、インカレ予選を通過したりと、ほんの少しの自慢です。
三回生の期間は何もありません。新型コロナウイルスの流行による練習自粛が続き、また部員の皆が練習を再開した後も私は自粛を続けていました。弓道の練習として出来ることがあまりに少ないこと、役職の仕事を放ってしまっていること、息抜きをしている暇なんて全く無いほどに授業や課題が忙しいことが原因で、ストレスを強く感じていました。復帰後もしばらくは調子を取り戻せなかったのを覚えています。
四回生でも練習を自粛していた期間がありました。復帰後は先輩として何か見せられることはないか、残せることはないかと考えながらも、決してそれだけにならないように、弓を引くことにも真剣であろうとしていました。最後の年というのもありましたが、純粋に弓道を楽しむことが出来たと思います。
私は、四年間を通して、選手として試合で活躍するといったことは遂にありませんでした。メンバーの皆の苦悶を真に理解することは出来なかったのだと思います。しかし、そんな私にも切ないことはありました。部を離れていった者達のことです。皆さんにも部の中でとりわけ良く話をする相手が何人かいると思います。私の場合、その悉くが消えていってしまいました。今いる同期とも話しますが、やはりよく話をしていた相手を失うのは切ないものです。もちろん彼らを責めている訳ではありません。その選択を尊重していますし、応援もしてるぞコノヤロー。
時に、自分でよく考えることと言えば、私はきっと同期の中で一番道場にいた時間が短いのだろうなということです。勉強優先の気質、自粛、研究室など、理由は様々ですが、情けない限りです。限られた練習時間の中で、なるべく質の高い練習をと努力していたつもりですが、どうしても弓にかける時間というものは重大なのだと思います。それに比べて同期の皆さんは凄い。そのやる気に、熱意に、行動に、これでも引っ張ってもらっていました。この代で良かったと、私は思っています。皆さん格好良いです。
ついでに、何でも書いてやれということで、練習中によく考えていたことについても書かせて頂きます。練習時間の殆どを、黙って引き続けていることが多かった私ですが、人の射を眺めるのも好きでした。とりわけ綺麗な射というものは、タリヌケに関わらず見ていて気持ちが良いものです。先輩や同期の綺麗な射をじっと見て、「どのように離れを出しているのだろうか」などとよく見ていました。後輩にも、とんでもなく綺麗な射の人がいます。気恥ずかしいので言及はしませんが、本当に上手いなあと見ていました。これからの活躍を、とても期待させて頂いております。自身の射については、とにかく満足しないというのが心掛けとしてありました(満足出来るような仕上がりになっていないというのは棚に上げておく)。時たま上手くいった射が出ても、その感覚を忘れない内にとにかく繰り返す。そのうちに出来なくなってしまった時には、何が変わったのかを模索し、修正を試みる。常にこれだけだったと思います。当たり前のことですね。道場の上座、上の方に『射は仁の道なり。射は正しきを己に求む。己正しくして而して後発す。発して中らざる時は、則ち己に勝つ者を怨みず。反ってこれを己に求むるのみ。』と書かれた額があったと思います。私はこの文が好きで、調子の悪い時はよく射位から見上げていました。射への心掛けに繋がり、悔しい時でも自身を律することが出来ました。
もう少しだけお付き合いください。最後に四年間で一番成長出来たと考える部分について話をします。結論から言うとコミュニケーション能力です。主に対女性のコミュニケーションです。大したことのないように見えるかも知れませんが、これでも大きく成長しました。中高と男子校だった私は、大学でも女子の異常に少ない学部に入学し、女性と話す機会にしても能力にしても絶望的なものでした。それがなんということでしょう。普通の会話くらいなら出来るようになっている(当社比)ではありませんか。道場にいる時間はとにかく引いていることが多かったので会話自体が少ないという問題はありますが、一~二回生の頃の私を知っている人なら変化に気付いてくれるのではないかと思います。ついでに会話のトーンが上がり、聞き取りやすい声量になり、適当な話を振ることが少し出来るようになったというのも良い変化でした。
こんなに自分語りをしたのは初めてです。ここまで読んで下さりありがとうございます。
貴方が既に引退された方ならば、自身の四年間を思い出す手助けになればと思います。
現役の方ならば、これまでを振り返り、これからの為の何かの気付きになればと思います。
これから入部しようとしている方ならば、その素晴らしい決意に自信をもってください。どのような形であっても、経験とは財産になるものです。
それでは、以上で筆を擱かせて頂きます。
お疲れ様でした。
関西大学体育会弓道部
二回生監督 中尾大輝
四回生 システム理工学部 初心者
このブログは、既に選手として引退し、卒部間近である私が、自身の四年間を綴るだけの、自分語り100%のブログとなっておりますので、興味のない方にはブラウザバックを推奨させていただきます。それでも読んで下さる方は、しばしお付き合い下さいませ。
そもそも私が弓道部に入ることを決めたのには、他の大学に行っていた、ある古い友人の影響が大きくありました。入学してからの約一か月間、授業を受けて帰るだけの生活をしていた私は、時間を大きく持て余していました。丁度そんな時に食事に誘ってくれたのがその友人です。部活に入り、忙しくも充実した生活の話を聞かせてくれた友人に倣い、私も部活に入ることを決めました。弓道を選んだのは、運動部であることと、初心者でも始めやすいことが理由でした。よくある理由だと思います。
一回生の期間は色んなことに慣れるのに精一杯で、正に光陰矢の如し、といったものでした。
二回生の期間は一番やる気に満ちていたと思います。というのも、当時の幹部に部活を辞めろと言われたのです。勉学に重きを置き、また体調を崩しがちだった私は、部活動に身を入れることが出来ていませんでした。大変だった時期に宣告された「辞めろ」の言葉は、反抗心にも似たやる気に繋がったのです。朝から閉めまで道場にいて練習したり、約一か月間矢数が一番だった時期があったり、インカレ予選を通過したりと、ほんの少しの自慢です。
三回生の期間は何もありません。新型コロナウイルスの流行による練習自粛が続き、また部員の皆が練習を再開した後も私は自粛を続けていました。弓道の練習として出来ることがあまりに少ないこと、役職の仕事を放ってしまっていること、息抜きをしている暇なんて全く無いほどに授業や課題が忙しいことが原因で、ストレスを強く感じていました。復帰後もしばらくは調子を取り戻せなかったのを覚えています。
四回生でも練習を自粛していた期間がありました。復帰後は先輩として何か見せられることはないか、残せることはないかと考えながらも、決してそれだけにならないように、弓を引くことにも真剣であろうとしていました。最後の年というのもありましたが、純粋に弓道を楽しむことが出来たと思います。
私は、四年間を通して、選手として試合で活躍するといったことは遂にありませんでした。メンバーの皆の苦悶を真に理解することは出来なかったのだと思います。しかし、そんな私にも切ないことはありました。部を離れていった者達のことです。皆さんにも部の中でとりわけ良く話をする相手が何人かいると思います。私の場合、その悉くが消えていってしまいました。今いる同期とも話しますが、やはりよく話をしていた相手を失うのは切ないものです。もちろん彼らを責めている訳ではありません。その選択を尊重していますし、応援もしてるぞコノヤロー。
時に、自分でよく考えることと言えば、私はきっと同期の中で一番道場にいた時間が短いのだろうなということです。勉強優先の気質、自粛、研究室など、理由は様々ですが、情けない限りです。限られた練習時間の中で、なるべく質の高い練習をと努力していたつもりですが、どうしても弓にかける時間というものは重大なのだと思います。それに比べて同期の皆さんは凄い。そのやる気に、熱意に、行動に、これでも引っ張ってもらっていました。この代で良かったと、私は思っています。皆さん格好良いです。
ついでに、何でも書いてやれということで、練習中によく考えていたことについても書かせて頂きます。練習時間の殆どを、黙って引き続けていることが多かった私ですが、人の射を眺めるのも好きでした。とりわけ綺麗な射というものは、タリヌケに関わらず見ていて気持ちが良いものです。先輩や同期の綺麗な射をじっと見て、「どのように離れを出しているのだろうか」などとよく見ていました。後輩にも、とんでもなく綺麗な射の人がいます。気恥ずかしいので言及はしませんが、本当に上手いなあと見ていました。これからの活躍を、とても期待させて頂いております。自身の射については、とにかく満足しないというのが心掛けとしてありました(満足出来るような仕上がりになっていないというのは棚に上げておく)。時たま上手くいった射が出ても、その感覚を忘れない内にとにかく繰り返す。そのうちに出来なくなってしまった時には、何が変わったのかを模索し、修正を試みる。常にこれだけだったと思います。当たり前のことですね。道場の上座、上の方に『射は仁の道なり。射は正しきを己に求む。己正しくして而して後発す。発して中らざる時は、則ち己に勝つ者を怨みず。反ってこれを己に求むるのみ。』と書かれた額があったと思います。私はこの文が好きで、調子の悪い時はよく射位から見上げていました。射への心掛けに繋がり、悔しい時でも自身を律することが出来ました。
もう少しだけお付き合いください。最後に四年間で一番成長出来たと考える部分について話をします。結論から言うとコミュニケーション能力です。主に対女性のコミュニケーションです。大したことのないように見えるかも知れませんが、これでも大きく成長しました。中高と男子校だった私は、大学でも女子の異常に少ない学部に入学し、女性と話す機会にしても能力にしても絶望的なものでした。それがなんということでしょう。普通の会話くらいなら出来るようになっている(当社比)ではありませんか。道場にいる時間はとにかく引いていることが多かったので会話自体が少ないという問題はありますが、一~二回生の頃の私を知っている人なら変化に気付いてくれるのではないかと思います。ついでに会話のトーンが上がり、聞き取りやすい声量になり、適当な話を振ることが少し出来るようになったというのも良い変化でした。
こんなに自分語りをしたのは初めてです。ここまで読んで下さりありがとうございます。
貴方が既に引退された方ならば、自身の四年間を思い出す手助けになればと思います。
現役の方ならば、これまでを振り返り、これからの為の何かの気付きになればと思います。
これから入部しようとしている方ならば、その素晴らしい決意に自信をもってください。どのような形であっても、経験とは財産になるものです。
それでは、以上で筆を擱かせて頂きます。
お疲れ様でした。
関西大学体育会弓道部
二回生監督 中尾大輝
四回生 システム理工学部 初心者
スポンサーサイト