4回生の振り返り〜ゲームオーバー〜
- 2022/01/19
- 09:19
こんにちは。
関西大学体育会弓道部男子主務の石井です。
今まで数回、この現役生ブログを書いてきました。ですがそれも今回で最後でしょう。4年間を振り返っていくのですが、思い出が溢れて溢れてとても長くなってしまいそうです。
私は同期の中でも早いうちから道場を訪れました。勧誘している人の前を数回うろうろしたのに声をかけてもらえなかったので自分から声をかけたことが始まりです。
弓道体験で1つ上の畑中氏と3つ上の宮﨑氏に才能があるとおだてられ、すっかり気をよくした私は他のクラブを見学せず道場で練習するようになりました。
入部する際に決めていたことがあります。それは「このクラブ内で不可欠な存在になる」ということです。
ご存じの方もいますが、私は高校で強豪のアメリカンフットボール部に所属していました。そして強豪校の落ちこぼれでした。毎日の練習が嫌で嫌で上手くもなければ成長の実感もない(嫌々やっていたので当たり前ですが)。後輩に抜かされ試合でプレーした回数は両手で足ります。
でもチームは勝つんです。全国大会にも駒を進めました。チームが勝てたら自分も嬉しいから…って思うようにしてました。ですが次第に自分の居場所がないように感じました。
退部はしませんでしたが結構苦しかったんですよね。だから今度こそはあんな思いをしたくない、必要とされるような人になろうと思いました。
1回生の時は周りと比べて成長が速い方だったと思います。何も考えず弓道の楽しさ、成長の嬉しさを感じていました。
自分を大きく変えたのは2回生の1年だと思います。
まずはじめての公式戦、選手権のメンバーに選ばれたことがあります。大会本番のとんでもない緊張感、そして勝利の高揚感。
私のいたCチームは大阪府選手権でも関西選手権でも成績は残していませんが、この2大会を経て私の意識は「部員」から「選手」に変わったと思います。これからの幹部幹部補佐は、これらのように部員の転機となる試合を沢山組んであげてください。
次に王座決定戦で準優勝したことです。私は出場せず、応援席で見ていました。
私の同期である井上、冨田、中西、吉田が選手として戦っていました。功績を喜ぶともに「なんで俺はあっちにいないんだろ」と嫉妬しました。そこからは王座決定戦を明確に目指しました。カッコよかった同期たちと一緒に戦うと心に決めたのです。
3回生になって私は幹部の一員となりました。主務補佐となって良かったことは社会の広さを感じたことです。
顧問の酒井先生をはじめ、スポーツ振興グループの方々、体育会本部のような様々な組織と個人の協力によって私たちが活動できていたことを目の当たりにしました。
また新型コロナウィルスの影響が大きくなってきた時期も重なり、尚更今までの練習環境は与えられて当然のものではないと実感することができました。
自粛期間が明けて練習が再開してから、私は長い停滞の時期を体験します。そこをどのように乗り越えたかは私の過去に書いたブログ(http://kansaiukyudo.blog.fc2.com/blog-entry-508.html)を見ていただきたいです。
停滞を乗り越えて的中率を上げたこと評価してもらい、念願の王座決定戦、正確にはその代替大会に出場することができました。環境的にはメンバー練習と変わらないのかもしれませんが、緊張しいの私にとっては忘れられない12射です。
4回生でよかったことはほとんどありません。練習はほとんどセパレートされ、全く会うこともできない人がいるのが寂しかったです。大阪府選手権は無くなって、新人戦・選抜・インカレ・リーグは実力不足で出場できず、関西選手権は自分の立場・役割と実力が見合わず、自分を馬鹿みたいに追い込んで自滅。4年間で最も大きい失敗でした。
ただ少しだけいいことがあるとするならば、シーズンの終盤で的中率が9割を超え、20射皆中を達成できたことです。またその辺も過去のブログ(http://kansaiukyudo.blog.fc2.com/blog-entry-655.html)でどうぞ。
全然試合で貢献できなくて苦しい一年だったけど、皆中できたからまぁよかったのかなって思ってました。ですが女子の王座、中でも同期の髙平の8射をみて、「あぁそっか…。俺はここまで頑張らんとだめだったんやな…。」と思わされました。積み重ねと信念を感じました。本当にカッコよかった。
王座決定戦を見てた人はわかると思うのですが、できる努力を全てやって、その状態で全身全霊で戦う姿には、人を惹きつける輝きがあります。後輩の皆はあの姿を決して忘れないでほしいです。
4年間の振り返りはこれぐらいでしょうか。
最後に後輩に伝えたいこととまとめを残して終わります。
これから書くことは個人が努力をしたしてないという話ではなく、運命とか縁のようなオカルト的で科学的根拠もないので本気にしないでください。
コーチが仰っていた「自分なりという言葉は非常に厄介」という言葉を最近よく考えます。私は結果(的中率・功績)を残せる人間と残せない人間がいると思っているからです。今までメンバーにも入れなかったけど、今年はきっとなんとかなる!って思ってる人は気をつけなければならないと思います。厳しいことを言えばほぼ今年も変わらないと思います。再度書きますが、それは努力をしてないからではなくて結果を残せない人だからです。
じゃあどうするか、文字通り人が変わったかのように弓に向き合う必要があると考えます。先輩同期後輩でも身の回りの急速に実力が伸びた人は、どこか人間の変化を感じることがありました。
ここで注意するべきことは、結果を残せない人の行う意識改革が「自分なり」にならないかということです。射技をはじめ歩き方、姿勢、考え方、喋り方、目線に至るまで全ての行動には「自分」が宿ります。それらの「自分」を消し去るレベルでの変化をして初めて人が変わったと思われるのではないでしょうか。
人間革命を起こしてください。毎年覚醒した人がリーグ戦期間を救っています。
入部式で叫んだ「一度決めたことを最後までやり抜く」という目標は、4年間やりきったということで達成としておきます。
弓道部で過ごすうちに多くの方々に成長させてもらえました。
4年間本当にありがとうございました。
関西大学体育会弓道部
男子主務 石井樹
経済学部 4回生 初心者
関西大学体育会弓道部男子主務の石井です。
今まで数回、この現役生ブログを書いてきました。ですがそれも今回で最後でしょう。4年間を振り返っていくのですが、思い出が溢れて溢れてとても長くなってしまいそうです。
私は同期の中でも早いうちから道場を訪れました。勧誘している人の前を数回うろうろしたのに声をかけてもらえなかったので自分から声をかけたことが始まりです。
弓道体験で1つ上の畑中氏と3つ上の宮﨑氏に才能があるとおだてられ、すっかり気をよくした私は他のクラブを見学せず道場で練習するようになりました。
入部する際に決めていたことがあります。それは「このクラブ内で不可欠な存在になる」ということです。
ご存じの方もいますが、私は高校で強豪のアメリカンフットボール部に所属していました。そして強豪校の落ちこぼれでした。毎日の練習が嫌で嫌で上手くもなければ成長の実感もない(嫌々やっていたので当たり前ですが)。後輩に抜かされ試合でプレーした回数は両手で足ります。
でもチームは勝つんです。全国大会にも駒を進めました。チームが勝てたら自分も嬉しいから…って思うようにしてました。ですが次第に自分の居場所がないように感じました。
退部はしませんでしたが結構苦しかったんですよね。だから今度こそはあんな思いをしたくない、必要とされるような人になろうと思いました。
1回生の時は周りと比べて成長が速い方だったと思います。何も考えず弓道の楽しさ、成長の嬉しさを感じていました。
自分を大きく変えたのは2回生の1年だと思います。
まずはじめての公式戦、選手権のメンバーに選ばれたことがあります。大会本番のとんでもない緊張感、そして勝利の高揚感。
私のいたCチームは大阪府選手権でも関西選手権でも成績は残していませんが、この2大会を経て私の意識は「部員」から「選手」に変わったと思います。これからの幹部幹部補佐は、これらのように部員の転機となる試合を沢山組んであげてください。
次に王座決定戦で準優勝したことです。私は出場せず、応援席で見ていました。
私の同期である井上、冨田、中西、吉田が選手として戦っていました。功績を喜ぶともに「なんで俺はあっちにいないんだろ」と嫉妬しました。そこからは王座決定戦を明確に目指しました。カッコよかった同期たちと一緒に戦うと心に決めたのです。
3回生になって私は幹部の一員となりました。主務補佐となって良かったことは社会の広さを感じたことです。
顧問の酒井先生をはじめ、スポーツ振興グループの方々、体育会本部のような様々な組織と個人の協力によって私たちが活動できていたことを目の当たりにしました。
また新型コロナウィルスの影響が大きくなってきた時期も重なり、尚更今までの練習環境は与えられて当然のものではないと実感することができました。
自粛期間が明けて練習が再開してから、私は長い停滞の時期を体験します。そこをどのように乗り越えたかは私の過去に書いたブログ(http://kansaiukyudo.blog.fc2.com/blog-entry-508.html)を見ていただきたいです。
停滞を乗り越えて的中率を上げたこと評価してもらい、念願の王座決定戦、正確にはその代替大会に出場することができました。環境的にはメンバー練習と変わらないのかもしれませんが、緊張しいの私にとっては忘れられない12射です。
4回生でよかったことはほとんどありません。練習はほとんどセパレートされ、全く会うこともできない人がいるのが寂しかったです。大阪府選手権は無くなって、新人戦・選抜・インカレ・リーグは実力不足で出場できず、関西選手権は自分の立場・役割と実力が見合わず、自分を馬鹿みたいに追い込んで自滅。4年間で最も大きい失敗でした。
ただ少しだけいいことがあるとするならば、シーズンの終盤で的中率が9割を超え、20射皆中を達成できたことです。またその辺も過去のブログ(http://kansaiukyudo.blog.fc2.com/blog-entry-655.html)でどうぞ。
全然試合で貢献できなくて苦しい一年だったけど、皆中できたからまぁよかったのかなって思ってました。ですが女子の王座、中でも同期の髙平の8射をみて、「あぁそっか…。俺はここまで頑張らんとだめだったんやな…。」と思わされました。積み重ねと信念を感じました。本当にカッコよかった。
王座決定戦を見てた人はわかると思うのですが、できる努力を全てやって、その状態で全身全霊で戦う姿には、人を惹きつける輝きがあります。後輩の皆はあの姿を決して忘れないでほしいです。
4年間の振り返りはこれぐらいでしょうか。
最後に後輩に伝えたいこととまとめを残して終わります。
これから書くことは個人が努力をしたしてないという話ではなく、運命とか縁のようなオカルト的で科学的根拠もないので本気にしないでください。
コーチが仰っていた「自分なりという言葉は非常に厄介」という言葉を最近よく考えます。私は結果(的中率・功績)を残せる人間と残せない人間がいると思っているからです。今までメンバーにも入れなかったけど、今年はきっとなんとかなる!って思ってる人は気をつけなければならないと思います。厳しいことを言えばほぼ今年も変わらないと思います。再度書きますが、それは努力をしてないからではなくて結果を残せない人だからです。
じゃあどうするか、文字通り人が変わったかのように弓に向き合う必要があると考えます。先輩同期後輩でも身の回りの急速に実力が伸びた人は、どこか人間の変化を感じることがありました。
ここで注意するべきことは、結果を残せない人の行う意識改革が「自分なり」にならないかということです。射技をはじめ歩き方、姿勢、考え方、喋り方、目線に至るまで全ての行動には「自分」が宿ります。それらの「自分」を消し去るレベルでの変化をして初めて人が変わったと思われるのではないでしょうか。
人間革命を起こしてください。毎年覚醒した人がリーグ戦期間を救っています。
入部式で叫んだ「一度決めたことを最後までやり抜く」という目標は、4年間やりきったということで達成としておきます。
弓道部で過ごすうちに多くの方々に成長させてもらえました。
4年間本当にありがとうございました。
関西大学体育会弓道部
男子主務 石井樹
経済学部 4回生 初心者
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