4回生の振り返り〜光陰流水の4年間〜
- 2022/12/31
- 17:47
振り返りを書かせていただきます、関西大学体育会弓道部4回生の酒井です。
4年間あっという間だったな、と思う反面、大学に入ってから弓道を始め、同時に初の体育会系の部活に所属することになり、色々と新鮮だったのが懐かしいです(笑)
1回生の時は練習や筋トレがとにかくしんどかったのを覚えています。特に、練習とバイトと勉強の両立がなかなかしんどくてすごく悩んだ時期もありましたが、みんなと一緒にこの部で頑張りたい!という気持ちでなんとか立ち直ることができました。
しかし、さあたくさん練習!頑張るぞ!という時に肘の怪我をしてしまい、それが学年が上がっても悩みの種に……
2回生は春合宿後から自粛してしまって、練習を再開した7月になるまでの記憶が殆どありません、自分でもびっくりするくらい何も覚えてないです(笑)なんででしょうか?
コロナの初年の年で授業がzoomになったり、練習が人数制限設けられたり、今よりも制限がきつい毎日でした。
3回生で開催されましたが、三十三間堂が消えかけたのはかなりショックでした😱これも、ある意味思い出なのかもしれません(笑)
3回生は新人監督としての仕事が始まったと同時に弓陵便りの仕事のピークがきて、慌ただしい始まりでした。
体をあちこち壊し始めた時期だったので、それはそれで結構しんどさはありましたが、自分の練習ができない分は新人監督として指導を頑張ろう!と指導をしていましたが、普通に後輩が可愛くてめっちゃ指導してたってのもあります(笑)
4回生は自分でも結構無理してた自覚があります。メンバー入りして頑張りたいという気持ちはありながらも、怪我がかなりネックになってしまっていたので、個人戦を兎に角第一に通過する!を目標にしていました。関西選手権の方は本戦にあと一歩及ばずでしたが、インカレの方が通ったのは今までのことが報われた感じがして嬉しかったです。諸事情でインカレ本戦に出場できなかったのですが、長らくの目標だったことがようやく達成できたのは良かったかなと思います。インカレ期間はロキソニンが相棒と化してたので……(笑)
最後の1ヶ月はさすがに限界に近く、弱い弓でもいいから兎に角引ききることを悠久杯まで頑張っていました。ただ、それでもあまり当てることが出来なかったのはかなり悔しいけど、一緒に引いてくれた足立や中辻、河内、白石にはめちゃくちゃ感謝しています!ありがとう!
4年間を振り返ると、怪我がすごく自分の中では大きく、ずっとどうしたらいいのかという悩みの種でした。
良くなりかけたら悪化みたいなことを繰り返していたので、かなりしんどかったです。現状も治りきっているわけではないので、ほんとうにどうしようもありませんでした。
でも、こうして続けてこれたのは同期のみんながいたからだし、先輩方や後輩達の存在も自分にとってはとても支えになっていました。みんなじゃなかったら続けれていなかったかもしれないです。かもしれないじゃないですね、みんなだったから続けれました。
在り来りな言葉にはなりますが、皆様4年間ありがとうございました。
後輩達へ、楽しいこと、辛いこと色々あると思います。でも、この厳しいコロナ禍を経験した貴方方ならきっと乗り越えられると思います。
一人一人やりたいこと、目標としていること、違うのは当たり前ですが、各々が残りの学校生活が悔いなく終われることを願っています。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
皆様、どうか病気や怪我どっちもどうかお気をつけてお過ごしください。
関西大学体育会弓道部
新人監督 酒井美咲
法学部 四回生 初心者
4年間あっという間だったな、と思う反面、大学に入ってから弓道を始め、同時に初の体育会系の部活に所属することになり、色々と新鮮だったのが懐かしいです(笑)
1回生の時は練習や筋トレがとにかくしんどかったのを覚えています。特に、練習とバイトと勉強の両立がなかなかしんどくてすごく悩んだ時期もありましたが、みんなと一緒にこの部で頑張りたい!という気持ちでなんとか立ち直ることができました。
しかし、さあたくさん練習!頑張るぞ!という時に肘の怪我をしてしまい、それが学年が上がっても悩みの種に……
2回生は春合宿後から自粛してしまって、練習を再開した7月になるまでの記憶が殆どありません、自分でもびっくりするくらい何も覚えてないです(笑)なんででしょうか?
コロナの初年の年で授業がzoomになったり、練習が人数制限設けられたり、今よりも制限がきつい毎日でした。
3回生で開催されましたが、三十三間堂が消えかけたのはかなりショックでした😱これも、ある意味思い出なのかもしれません(笑)
3回生は新人監督としての仕事が始まったと同時に弓陵便りの仕事のピークがきて、慌ただしい始まりでした。
体をあちこち壊し始めた時期だったので、それはそれで結構しんどさはありましたが、自分の練習ができない分は新人監督として指導を頑張ろう!と指導をしていましたが、普通に後輩が可愛くてめっちゃ指導してたってのもあります(笑)
4回生は自分でも結構無理してた自覚があります。メンバー入りして頑張りたいという気持ちはありながらも、怪我がかなりネックになってしまっていたので、個人戦を兎に角第一に通過する!を目標にしていました。関西選手権の方は本戦にあと一歩及ばずでしたが、インカレの方が通ったのは今までのことが報われた感じがして嬉しかったです。諸事情でインカレ本戦に出場できなかったのですが、長らくの目標だったことがようやく達成できたのは良かったかなと思います。インカレ期間はロキソニンが相棒と化してたので……(笑)
最後の1ヶ月はさすがに限界に近く、弱い弓でもいいから兎に角引ききることを悠久杯まで頑張っていました。ただ、それでもあまり当てることが出来なかったのはかなり悔しいけど、一緒に引いてくれた足立や中辻、河内、白石にはめちゃくちゃ感謝しています!ありがとう!
4年間を振り返ると、怪我がすごく自分の中では大きく、ずっとどうしたらいいのかという悩みの種でした。
良くなりかけたら悪化みたいなことを繰り返していたので、かなりしんどかったです。現状も治りきっているわけではないので、ほんとうにどうしようもありませんでした。
でも、こうして続けてこれたのは同期のみんながいたからだし、先輩方や後輩達の存在も自分にとってはとても支えになっていました。みんなじゃなかったら続けれていなかったかもしれないです。かもしれないじゃないですね、みんなだったから続けれました。
在り来りな言葉にはなりますが、皆様4年間ありがとうございました。
後輩達へ、楽しいこと、辛いこと色々あると思います。でも、この厳しいコロナ禍を経験した貴方方ならきっと乗り越えられると思います。
一人一人やりたいこと、目標としていること、違うのは当たり前ですが、各々が残りの学校生活が悔いなく終われることを願っています。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
皆様、どうか病気や怪我どっちもどうかお気をつけてお過ごしください。
関西大学体育会弓道部
新人監督 酒井美咲
法学部 四回生 初心者
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