4回生の振り返り〜我が弓道人生に一片の悔いなし〜
- 2023/01/20
- 12:43
こんにちは。
関西大学体育会弓道部四回生の宮本です。
一回生の時、ブログ更新ツイートをすると共に読んでいた卒部ブログを書く番がついに回ってきました。時の流れは早いですね。
一年ずつ振り返ってみたら、長い自分語りブログになってしまったので「そういうのちょっといいです…」という方はブラウザバックを推奨します。
かなり長くなってしまいましたが、お付き合いくださる方はよろしくお願いします🤲🏻
(現役生で読んでる人がいるなら、全部読まなくてもいいので「*」で挟んだ部分だけでも読んでくれたら嬉しいです。)
一回生、法文坂で月浦さんと角さんからビラを受け取ったところで全てが始まります。(私は弓道部に興味があったのでお互いほぼ同時に話しかけた気がします。)見学に行ったら今では仲良しな森田さんに対応され、その日のお菓子パーティーに参加して、コーチの「宮本はあたる名字や!」を間に受けて、なんだかんだ入部します。
一回生は仕事の記憶が強いです。鳴きメンだったので、試合の日は付け矢から試合まで、あたる瞬間を目の前で見続けて、自分もこうなりたいと思うようになりました。
鳴きメンをしていてどうしても忘れられないのがリーグの優勝決定戦、最終立、落の二本目です。矢が的の2時キワキワにあたりました。いつもはあたると「よし!」と掛け声を出す道場内での応援はヌケだと思ったらしく、一瞬の沈黙が生まれました。しかし、タリを確信し、タリで看的を出すと、一斉に「よし!」と安堵を含んだ大きな声が聞こえました。その時のタリかヌケか分からないあの一瞬の静寂、タリと分かったときに一斉に聞こえたあの矢声が今でも忘れられません。自分の役割は仕事でも、試合に貢献できていると感じましたし、結果敗戦となりましたが一回生ながら自然と涙が出て、全員で勝ちをとりに行っていたんだと感じた一本でした。
秋に担当新監だった宮下さんと宮川さんに一喝入れられて、そこからちゃんと練習し始めた気がします。練習すればするほど射も的中もよくなって、冬にはメンバーにも入れて、弓道が本当に楽しかったです。
あの時のお叱りがなければ、今の自分はないと思います。本当に感謝してもしきれません。
二回生、いいことは少なかったですが、その後の選手人生の基盤ができた年だったと思います。
コロナのおかげで、目指していた新人戦や選手権が全部なくなりました。練習再開後には、自粛中の練習が無意味だったことを射と的中が突きつけてきます。今思えば、ただ数をこなすだけの雑で無意味な練習を何千何万も重ねて、阿呆でしたね。でも、おかげで徒手と筋トレといった基礎練習、考えて練習することの大切さに気づくことができました。
この一年間、私はメンバーになることはなく、付け矢と試合の判付けをして終わります。(たくさん皆中コールしたなぁ😌)
反骨心で頑張れるタイプなので、同期が引いてるのに自分は仕事してるの悔しいやろ?と自分を奮い立たせるために試合やメン練の仕事を積極的にしていたような気がします。
なので仕事だけで試合に参加する悔しさや虚しさを今でも鮮明に覚えてるし、それが私を強くしたと思います。
三回生、私にとって飛躍の一年になります。
この年から、私は某卒業生に恩返しするためにということと、初心者が活躍を諦めなくていいようにたくさん活躍しようという2つの信念をもって、練習してきました。
カーボン矢に変えたことと強すぎない適正な弓力に変えたことにより、的中率が跳ね上がりました。(道具って大切だなぁ…🥲)それもあり、新人戦の初戦前日、メンバーに滑り込みます。選手権メンバーにも入ることができました。二回生の悠久杯の時の「春には間に合わせる」という某卒業生との約束を果たすスタートラインに立てたのでかなり嬉しかったです。
夏には関西選手権で優勝しました。16年ぶりらしいですね。インカレにも出ることができたし、二十射皆中もできて、私も追いつけないくらい、立て続けに目標を達成できた一年でした。
憧れてやまなかった新人監督にもなり、教えることの難しさや、右も左もわからない初心者に弓道のいろはをおしえる責任の重さ、「見てください!」「あたるようになりました!」「変な感覚なくなりました!」と言ってくれた時の嬉しさなど、様々なことを知ることができました。
四回生、不本意なことが多かったですが、自分が一番達成したかったことが果たせた年でした。
新人戦で24射皆中した6人のうちの1人だったり、四私個人で優勝したり、インカレ遠的大会で準優勝したり、記録らしいものだけはこの四年間で一番残ったと思います。でも、爆発的にあたるタイプではなかったので、たまたまその日そのタイミングであたっただけとしか思えなくて。嬉しいけど、こんなのたまたま、大したことないって卑屈になってしまうのが悲しい一年でした。
そんな中でも、報われたのもこの年だと思っています。そう思える理由は二つあります。
一つ目は私にとっての理想の射まで上り詰めたことです。ただあたるではなく、綺麗な形であたるべくしてあたる射型を目指していました。その中でも、左右ともまっすぐでる離れ、男子顔負けの矢勢、粘り強い会、世界で一番好きだと自信をもって言える射型でした。あたってる時もあたってない時も誰よりも上手だと思えるくらい、自分の射型が好きです。色々試行錯誤してきたつもりですが、こう思える射ができるようになったことで、自分の努力やこれまでいただいた指導が正しかったことを示せたと思っています。ここまでになれて嬉しいです。
もう一つは私がなりたい姿になれたことです。
引退間近のある日、ある初心者の後輩から「宮本さんが私たちの希望でした」と言われました。
私が在籍していた期間は、実際に試合に出る選手には中高からの経験者が多くを占めていました。その中でも試合に出続けている初心者の先輩がいました。その人のようになりたいと一回生の時から思っていましたし、初心者の自分が活躍することで「自分も頑張ればできるかも!」と思わせれる存在になれたら、と思っていました。一人でもそう思ってくれたらよかったんです。
私はその人のように試合に出続けることはできませんでしたが、目指していたその姿に、初心者の希望になれていたことが本当に嬉しかったです。
また次の希望が生まれてくれること、それを掬い上げてくれる人が現れることを切に願います。
こうして、私が本当に果たしたかったことを果たせて、満足しています。後悔も全くありません。
*
せっかくなので一つ、後輩たちへ伝えようと思います。ちょっと長いけど読んでくれると嬉しいです。
みなさんに伝えたいことは、腐らずに最後まで向き合って欲しいということです。
全員が選手として活動する以上、必ずどこかで差はできます。頑張ってるけど、うまくいかない時もありますよね。そういう時でも自分に向き合って、何が必要かを考えて、もう一度頑張って欲しいです。(もちろん休憩は必要。)
どんな時でも共通して「射技を直すこと」が必要になってくると思います。
一個直したからってすぐにあたるわけではないし、一個でいい人もいれば四個、五個とたくさん直してからあたるようになることもあると思います。直してもまた次の癖ができてしまうこともあるかもしれません。ずっと言われてるけど直したくても直らない癖もあると思います。でも、直ると思って取り組んでみてください。案外直るものです。なにもせずに突然上手くはならないけど、自分に向き合って自分にとって正しい努力を続けて、歯車が合ったときには何かしらの結果が出ます。それを合わせるために日々考え、練習をするのだと思います。今自分の癖に向き合うだけで一ヶ月後、半年後、一年後の自分が全く違うものになっているはずです。どうか、逃げずに向き合ってみてください。
初心者の同期がメンバーになった、後輩がメンバーになった、様々なところで少しずつ差を感じる時があると思います。そこで劣等感、嫉妬、悔しさ、様々な気持ちがあると思いますが、その気持ちは大切にしてください。その気持ちに呑まれちゃうと良くないですが、それを原動力にして成長しようと思えるなら良いよねって、私は思います。
がんばって。乗り越えた先にある未来は明るいよ。
*
最後に、どうしてもお礼を言いたい人がいるので、この場をお借りしてお伝えさせていただきます。
某卒業生もとい森田華帆さん、卒業してから二年が経ちました。ずっと私を応援してくれてありがとう。私にとってはどん底だった二年生の時、めげずにずっと見てくださりました。
あの時のあなたの指導が正しかったことを結果で示したくて、私の可能性を信じてくれたことを絶対に後悔させたくなくて、残りの二年間頑張れました。なんならあなたのためだけに弓を引いてたといっても過言ではありません。
辛い時に私の泣き言を聞いてくれたり、自信がない私とは反対に誰よりも私を信じてくれたり、良い報告したら自分のことのように喜んでくれたり、嬉しかったです。本当に私の心の支えでした。
今度こそ最後になりますが、私に一から弓の基本を教えてくださった先輩方、さらに上達するためにご指導くださった監督・コーチ、こんな私に「見てください!」って言ってくれたり、日常や役職のことなど様々な場面で助けてくれた後輩、私のくだらない話を聞いてくれた同期、四年間弓道をやらせてくれた家族、全ての人に感謝しています。
ありがとうございました。
長文、駄文失礼しました。
関西大学体育会弓道部
新人監督副リーダー 宮本紗衣
文学部 四回生 初心者
関西大学体育会弓道部四回生の宮本です。
一回生の時、ブログ更新ツイートをすると共に読んでいた卒部ブログを書く番がついに回ってきました。時の流れは早いですね。
一年ずつ振り返ってみたら、長い自分語りブログになってしまったので「そういうのちょっといいです…」という方はブラウザバックを推奨します。
かなり長くなってしまいましたが、お付き合いくださる方はよろしくお願いします🤲🏻
(現役生で読んでる人がいるなら、全部読まなくてもいいので「*」で挟んだ部分だけでも読んでくれたら嬉しいです。)
一回生、法文坂で月浦さんと角さんからビラを受け取ったところで全てが始まります。(私は弓道部に興味があったのでお互いほぼ同時に話しかけた気がします。)見学に行ったら今では仲良しな森田さんに対応され、その日のお菓子パーティーに参加して、コーチの「宮本はあたる名字や!」を間に受けて、なんだかんだ入部します。
一回生は仕事の記憶が強いです。鳴きメンだったので、試合の日は付け矢から試合まで、あたる瞬間を目の前で見続けて、自分もこうなりたいと思うようになりました。
鳴きメンをしていてどうしても忘れられないのがリーグの優勝決定戦、最終立、落の二本目です。矢が的の2時キワキワにあたりました。いつもはあたると「よし!」と掛け声を出す道場内での応援はヌケだと思ったらしく、一瞬の沈黙が生まれました。しかし、タリを確信し、タリで看的を出すと、一斉に「よし!」と安堵を含んだ大きな声が聞こえました。その時のタリかヌケか分からないあの一瞬の静寂、タリと分かったときに一斉に聞こえたあの矢声が今でも忘れられません。自分の役割は仕事でも、試合に貢献できていると感じましたし、結果敗戦となりましたが一回生ながら自然と涙が出て、全員で勝ちをとりに行っていたんだと感じた一本でした。
秋に担当新監だった宮下さんと宮川さんに一喝入れられて、そこからちゃんと練習し始めた気がします。練習すればするほど射も的中もよくなって、冬にはメンバーにも入れて、弓道が本当に楽しかったです。
あの時のお叱りがなければ、今の自分はないと思います。本当に感謝してもしきれません。
二回生、いいことは少なかったですが、その後の選手人生の基盤ができた年だったと思います。
コロナのおかげで、目指していた新人戦や選手権が全部なくなりました。練習再開後には、自粛中の練習が無意味だったことを射と的中が突きつけてきます。今思えば、ただ数をこなすだけの雑で無意味な練習を何千何万も重ねて、阿呆でしたね。でも、おかげで徒手と筋トレといった基礎練習、考えて練習することの大切さに気づくことができました。
この一年間、私はメンバーになることはなく、付け矢と試合の判付けをして終わります。(たくさん皆中コールしたなぁ😌)
反骨心で頑張れるタイプなので、同期が引いてるのに自分は仕事してるの悔しいやろ?と自分を奮い立たせるために試合やメン練の仕事を積極的にしていたような気がします。
なので仕事だけで試合に参加する悔しさや虚しさを今でも鮮明に覚えてるし、それが私を強くしたと思います。
三回生、私にとって飛躍の一年になります。
この年から、私は某卒業生に恩返しするためにということと、初心者が活躍を諦めなくていいようにたくさん活躍しようという2つの信念をもって、練習してきました。
カーボン矢に変えたことと強すぎない適正な弓力に変えたことにより、的中率が跳ね上がりました。(道具って大切だなぁ…🥲)それもあり、新人戦の初戦前日、メンバーに滑り込みます。選手権メンバーにも入ることができました。二回生の悠久杯の時の「春には間に合わせる」という某卒業生との約束を果たすスタートラインに立てたのでかなり嬉しかったです。
夏には関西選手権で優勝しました。16年ぶりらしいですね。インカレにも出ることができたし、二十射皆中もできて、私も追いつけないくらい、立て続けに目標を達成できた一年でした。
憧れてやまなかった新人監督にもなり、教えることの難しさや、右も左もわからない初心者に弓道のいろはをおしえる責任の重さ、「見てください!」「あたるようになりました!」「変な感覚なくなりました!」と言ってくれた時の嬉しさなど、様々なことを知ることができました。
四回生、不本意なことが多かったですが、自分が一番達成したかったことが果たせた年でした。
新人戦で24射皆中した6人のうちの1人だったり、四私個人で優勝したり、インカレ遠的大会で準優勝したり、記録らしいものだけはこの四年間で一番残ったと思います。でも、爆発的にあたるタイプではなかったので、たまたまその日そのタイミングであたっただけとしか思えなくて。嬉しいけど、こんなのたまたま、大したことないって卑屈になってしまうのが悲しい一年でした。
そんな中でも、報われたのもこの年だと思っています。そう思える理由は二つあります。
一つ目は私にとっての理想の射まで上り詰めたことです。ただあたるではなく、綺麗な形であたるべくしてあたる射型を目指していました。その中でも、左右ともまっすぐでる離れ、男子顔負けの矢勢、粘り強い会、世界で一番好きだと自信をもって言える射型でした。あたってる時もあたってない時も誰よりも上手だと思えるくらい、自分の射型が好きです。色々試行錯誤してきたつもりですが、こう思える射ができるようになったことで、自分の努力やこれまでいただいた指導が正しかったことを示せたと思っています。ここまでになれて嬉しいです。
もう一つは私がなりたい姿になれたことです。
引退間近のある日、ある初心者の後輩から「宮本さんが私たちの希望でした」と言われました。
私が在籍していた期間は、実際に試合に出る選手には中高からの経験者が多くを占めていました。その中でも試合に出続けている初心者の先輩がいました。その人のようになりたいと一回生の時から思っていましたし、初心者の自分が活躍することで「自分も頑張ればできるかも!」と思わせれる存在になれたら、と思っていました。一人でもそう思ってくれたらよかったんです。
私はその人のように試合に出続けることはできませんでしたが、目指していたその姿に、初心者の希望になれていたことが本当に嬉しかったです。
また次の希望が生まれてくれること、それを掬い上げてくれる人が現れることを切に願います。
こうして、私が本当に果たしたかったことを果たせて、満足しています。後悔も全くありません。
*
せっかくなので一つ、後輩たちへ伝えようと思います。ちょっと長いけど読んでくれると嬉しいです。
みなさんに伝えたいことは、腐らずに最後まで向き合って欲しいということです。
全員が選手として活動する以上、必ずどこかで差はできます。頑張ってるけど、うまくいかない時もありますよね。そういう時でも自分に向き合って、何が必要かを考えて、もう一度頑張って欲しいです。(もちろん休憩は必要。)
どんな時でも共通して「射技を直すこと」が必要になってくると思います。
一個直したからってすぐにあたるわけではないし、一個でいい人もいれば四個、五個とたくさん直してからあたるようになることもあると思います。直してもまた次の癖ができてしまうこともあるかもしれません。ずっと言われてるけど直したくても直らない癖もあると思います。でも、直ると思って取り組んでみてください。案外直るものです。なにもせずに突然上手くはならないけど、自分に向き合って自分にとって正しい努力を続けて、歯車が合ったときには何かしらの結果が出ます。それを合わせるために日々考え、練習をするのだと思います。今自分の癖に向き合うだけで一ヶ月後、半年後、一年後の自分が全く違うものになっているはずです。どうか、逃げずに向き合ってみてください。
初心者の同期がメンバーになった、後輩がメンバーになった、様々なところで少しずつ差を感じる時があると思います。そこで劣等感、嫉妬、悔しさ、様々な気持ちがあると思いますが、その気持ちは大切にしてください。その気持ちに呑まれちゃうと良くないですが、それを原動力にして成長しようと思えるなら良いよねって、私は思います。
がんばって。乗り越えた先にある未来は明るいよ。
*
最後に、どうしてもお礼を言いたい人がいるので、この場をお借りしてお伝えさせていただきます。
某卒業生もとい森田華帆さん、卒業してから二年が経ちました。ずっと私を応援してくれてありがとう。私にとってはどん底だった二年生の時、めげずにずっと見てくださりました。
あの時のあなたの指導が正しかったことを結果で示したくて、私の可能性を信じてくれたことを絶対に後悔させたくなくて、残りの二年間頑張れました。なんならあなたのためだけに弓を引いてたといっても過言ではありません。
辛い時に私の泣き言を聞いてくれたり、自信がない私とは反対に誰よりも私を信じてくれたり、良い報告したら自分のことのように喜んでくれたり、嬉しかったです。本当に私の心の支えでした。
今度こそ最後になりますが、私に一から弓の基本を教えてくださった先輩方、さらに上達するためにご指導くださった監督・コーチ、こんな私に「見てください!」って言ってくれたり、日常や役職のことなど様々な場面で助けてくれた後輩、私のくだらない話を聞いてくれた同期、四年間弓道をやらせてくれた家族、全ての人に感謝しています。
ありがとうございました。
長文、駄文失礼しました。
関西大学体育会弓道部
新人監督副リーダー 宮本紗衣
文学部 四回生 初心者
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