こんにちは。四回生の清水です。
毎年楽しみにしていた四回生ブログをついに自分が書く時が来てしまいました。本当は笑いあり、涙あり、激動の四年間を本ブログに詳細にしたためたいところですが、普通に小説くらいの長さになるので、非常に簡単に振り返らせてもらおうと思います(ハードル下げ)。と思ったんですが、めちゃくちゃ長くなってしまったので時間がある時に読んでください。
入学してすぐのころは弓道部に入るつもりはさらさらありませんでした。友達と一緒に行ったコンピュータ同好会の居心地が良すぎて、ここ以外ないんだ!!となっていた矢先、道場に体験に来ないかと声をかけられてしまいました。興味なんて全くなかったのに、人見知り過ぎて断ることができず、道場に行くことになってしまいました。道場につくやいなや渡されたアンケートにあった、「弓道に興味はあるか」という欄の「なし」に颯爽と丸を付け、一通り説明を受けた後、体験をやらせてもらえることに。するとなんということでしょう。担当してもらっていた当時主将の岡田さんが「オッ、ウマイナァ...」「ウワッ、マタマンナカアテヨッタデェ...」「フツウニ(部に)ハイッテホシイナァ...」とめちゃくちゃに褒められるではありませんか。完全に乗せられたぼくは「じゃあ入部しよー^^」となってしまい、かくして弓道に興味ないのに弓道部に入部した男が爆誕しました。いま思えば、めちゃくちゃ棒読みだった気もするし、岡田さんはそもそもそんな話し方だった気もしますが、たぶん前者でした。
一回生の入部してすぐはめちゃくちゃ楽しかったです。授業以外、朝から夜までなんてことはしょっちゅうでめちゃくちゃ練習しました。同期も先輩も同じような感じの人がめちゃくちゃ多くて、人見知りなぼくですが、いろいろな先輩や同期に声をかけてもらえたりしながら少しづつ雰囲気になじめるようになっていきました。(ぼくの思い込みかもしれないですが...)はじめのうちはやればやるほどうまくなっていく感じがあって、的中も面白いくらいに右肩上がりでした。一部リーグ優勝が決まった時の円陣での監督コーチの話や泣いている四回生を見て、かなり我慢したんですけど泣きました。まわりを見たら同期は全然泣いてなくて、意外と二、三回生も泣いている人が少なく、「なんで入部して半年そこらやのに泣いてるんや??」と思われてるんじゃないかと思って、かなり恥ずかしかったです。でも、それだけ本気でした。
一回生のリーグ戦終わりごろからうまくいかなくなりました。的中の伸びは停滞し、同じ射癖に苦しみました。それとは裏腹に、これまでコツコツとがんばってきていた同期がどんどん伸びてきて、追い抜かれていくように感じて焦り始めました。ただなんとなく量だけこなす練習しかしてこなかったツケが回ってきました。当時は特に調子に乗っていたつもりはなかったですが、心のどこかで「まあこのまま練習していけば、試合出れるようになるかなあ」という気持ちも正直ありました。練習も考えも本当に甘かったです。
結局新人戦のメンバーには選ばれることはなく、射癖を残したまま二回生を自粛とともに迎えました。今思えば、ここは基礎を完璧にして、射癖を解決して練習再開に臨むチャンスでした。決してサボっていたわけではないですが、本当に言われたことくらいしかやりませんでした。そこからは練習再開してもいろいろな制限があったり、また自粛になったりで気持ちも落ちていき、もっといろいろやれたはずなのに中途半端に終わってしまいました。完全に状況に甘えてました。
二回生は自粛続きで人とのかかわりも少なくなってしまって、思い出も少ないです。ノリで坊主にしてみたら思ったより評判がよくなくて、ややウケでした。それプラス練習班が分かれていたので、坊主ホヤホヤを見れたのは一部の人だけで完全に坊主し損でした。唯一してよかったなと思ったのは、坊主にして出席した最初の英語の授業でネイティブの先生に「Japanese cool hair...」と言われたことくらいでした。
三回生はかなりきつかったです。二回目の新人戦もメンバーになることはできませんでした。それどころか二回目の完全自粛で、今回はメンバーは規制がありながらも試合までは練習可能で、メンバー外は練習できないという状態でした。仕方がないことですが、自分よりもうまくて、的中が高い人が道場で弓を引けて、自分は引けないという状況。これでは追いつくことはおろか、差は開いていくばかり。しかも自分はもう三回生です。当時の自分はこの状況をかなり絶望的に感じ、かなりやみました。でも冷静に考えれば、過去に三、四回生からメンバーに上がる人を見てきました。しんどい状況ではあるけれど、まだ何とかなるという思いと二回生の自粛の反省のおかげで何とか立ち直りました。実家の庭に土の斜面があって、そこに向かってなら巻き藁みたいに弓が引けるだろうと思い、授業も完全オンラインだったので帰省しました。完全に父親の趣味部屋になってしまった元自分の部屋で、海野と岩上としんどいけど頑張るぞ、みたいな話を夜中にしてモチベをあげたのと、次の日に隣の部屋で寝ていた弟に「彼女と電話^^??」と聞かれて腹が立ったのを覚えてます。この自粛期間は二回生の反省を活かしました。いろいろ見直して、いろいろ試しました。試しすぎて大三で暴発を起こして、実家のエアコンの室外機を破壊しました。この件があってから、おそらく両親はぼくを「とんでもなくへたくそなやつなんだなこいつは」と思ったはずなので、名誉を挽回するためにも何とか結果を残したかったですが、叶いませんでした。
そんなこんなで自粛があけて、練習が再開しました。なんと自分はメンバー候補という形でしたがリーグ戦のメンバー練習に参加させてもらえることになりました。一番最初のメンバーミーティングで、三回生の自粛で絶望したこと、同じように思っている人たちのために自分は何としてでも試合に出たい、ということを語ったら泣いてしまいました(これ今思えばちいかわみたいや)。ほかのメンバーの人たちは「こいつまだミーティング一回目やのにもう泣いてるやん」と思ってるんだろうなと思い、恥ずかしくなって次の日の練習を休もうか本当に悩みました(ちゃんと行ったし、茶化す人は誰もいませんでした)。
吉田智哉さんにはこのとき本当にお世話になりました。一回生のころからずっと仲良くしてもらっていましたが、このときは本当によく気にかけてもらいました。その甲斐あってか、的中はかなり伸びました。でも試合に出ることは叶いませんでした。このときリーグの全試合の判つけをやらせてもらっていたのですが、自分の無力さと頑張っている同期の信吾や菅野、後輩先輩たちを見て、試合中なのに半泣きになりながら皆中コールしたりしていました(なにしてんねん)。実はリーグ期間に智哉さんから、一緒にリーグに出ようということを言われ、これまで二人でした会話の九割は本当にどうでもいい話でしたが、その時は「これはホンマのやつや」と思い、本当に努力しました。だからこそ智哉さんの振り返りブログを読んで、この言葉を本気で受け取ったことを結果で示せなかったことは本当に申し訳なく、情けなく思いました。リーグ戦最後の試合が終わった後も、ついに約束を果たせなかったということと、目標に届かなかったこと、四回生がいなくなるさみしさで号泣しました(なんかい泣くんや;;)。
四回生になりました。二回生監督リーダーになりました。組織のリーダーは本当に難しかったです。メンバー経験もろくにない自分に指導ができるだろうか、という不安がこれまであったのに、リーダーになりこれまで以上の力が求められ、苦労しました。研究室も四回生になって始まりました。これまで(これは本当によくないですが)勉強面は本当に最低限にやってきていて、うまくごまかしがきいていましたが、研究室はそういうわけにもいかず、これまで勉強と部活動の両立をろくにやってこなかったぼくは、ここにきてしんどさを感じるようになりました。そんな中でも今まで見てきた四回生の先輩のように、自分も四回生として最後まで頑張ろうと思いました。時間が経つにつれて、チャンスがなくなっていくしんどさは本当にきつかったですし、そんな中で四回生として、リーダーとしての態度を見せないといけないというしんどさもありました。そんな中やってこれたのはやはり、一緒にがんばる同期がいたからだと思います。最後まであきらめずに、ずっと道場にいる同期や、リーダーとして部を引っ張っていく幹部のみんなに支えられました。最後の夏もメンバー候補として練習に参加させてもらい、他の班なのに練習を見に来てくれる幹部、特に同じ班でよく声をかけてくれた坪田には本当に感謝しています。練習でも的中が出ることが多くなっていったのは坪田がチャンスをくれたり、そういう声掛けがあったからだと思います。ただ、リーグ前最後の練習試合でリリーフとしても試合に出られなかったときに、自分はもう選手としてのチャンスはなくなったと思いました。悔しさと、チャンスをくれた、支えてくれたのにこたえられなかった申し訳なさで本当に嫌になりました。それでも自分にできることはということで最後までやり切りました。
いろいろな不運が嚙み合い、院試と最後の夏合宿の日程が被ってしまい、最速でも大阪に帰る前日の夜にみんなと合流できるということが判明しました。それでも、なんとか最後のエールが海野としたくて、面接が終わってダッシュで関大前まで行き、汗だくスーツのまま人生初ひとり新幹線、金沢、ひとりタクシーを経て、めちゃくちゃ遅れながらもみんなと合流できていい思い出になりました(タクシーから降りたときに「清水さんや!!」みたいな感じで迎えられ、有名人になった気分でした)。エールは久々にやったのと前日のダッシュのダメージのせいで足プルプルでした。
最後のリーグはしんどい中で頑張っているメンバーを応援することしかできず、無力感を感じましたが、頑張っている同期や後輩、特に足立や担当だった森本がリーグにでて戦う姿を見て、本当にこれまで頑張ってよかったなと思えました。メンバーのみんなには本当に感謝しています。ありがとう。
成功体験があまりにもなさ過ぎて、しくじり先生みたいになってますが、これを読んで少しでもハッとしたのなら、今から変わってほしいなと思います。四年間はあっという間ですが、本当に小さなことの積み重ねだと思うので、本気で考えて、本気で努力してほしいです。岩上は「大学入学から人生やり直しスイッチ」があっても押さない、と言っていましたが、ぼくはソッコーで押します。連打します。少しでも後悔がないように終わらせるためには、やはりいまからやるしかないんじゃないでしょうか。そうすれば少しづつかもしれないけれど、結果に近づくのではないでしょうか。
後輩へ
皆さん仲良くしてくれてありがとう。本当に人見知りなので話しかけづらいオーラバンバンだったと思いますが、たくさんの人が話しかけてくれてうれしかったです。しんどいこともあると思うけれど、そんな時にどうするかが大切だと思うので頑張ってください。本当に応援していますし、とくに担当だった江崎、森本、川上、松岡、がんばれ!みんなの中に「これは清水(さん)のおかげで」というものがひとつでもあればこんなに嬉しいことは無いです。なんと、ぼくはあと二年も関大にいるので、何かあるときは研究室来てください。話聞きますし、ちょっといいことを言えるかもしれません。森本、また武双家いこう!!
同期へ
なんか扱いづらいやつやなと思っていたかもしれないですが(特に女子のみなさん)、みんなのおかげでここまで頑張れました。また集まるときには声かけてください。ぼくは自分が多少のツンデレ属性をもっていることを自覚していますので、こんなことを言うのは恥ずかしいですが、みんなありがとう。べっ、別に感謝してるってだけで、みんなのことが大好きってわけじゃないんだからねっ!!
両親へ
一回生のころに「あんたはブログいつ書くん?」と言っていたのでちょくちょく読んでるという読みでここに書きます。いきなりバイトせんと部活するって言ったり、院いくって言ってみたり、本当に思うようにならない息子だと思っただろうけど、二人のおかげでまあまあ立派になれました。高校最後のホームルームでみんなが両親への感謝を述べる中、大学でもお世話になるやんという理由で何も言わなかったですが、感謝してます。本当にありがとう。あ、あと二年よろしくー^^
最後になりましたが、猪尾監督、宮本コーチ本当にありがとうございました。選手としても二回生監督としても本当に力不足でしたが、お二人から頂いた指導や考え方をこれからに活かしていきます。お二人やこれまで関わって下さった人たちのおかげで、人として成長することができたと思っています。
あまり暗くなったり、硬くなったりすると読めないなと思い、いろいろ書いていたので、話があっちこっち言ったり、めちゃくちゃ長くなったりしてしまいましたが、こんなところまで読んでくださりありがとうございました。ここまで書くのにエネルギーを使い果たしてしまったため、いいオチが思いつきませんでしたので、パワープレイにて締めたいと思います。
失礼します!!
関西大学体育会弓道部
二回生監督リーダー 清水亮
システム理工学部 四回生 初心者
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