4回生の振り返り〜挑戦者たれ!〜
- 2023/02/04
- 16:56
㊗️とうとう自分の番が回ってきました!卒業ブログ!
先輩方や同期の秘めた思いみたいなものが垣間見られて、あんなに一緒にいたのに「知らん事ばっかやなぁ」と毎回驚きと感動がある卒業ブログ。おもしろいです。
今回は自分の4年間の思い出ベスト6🎉をご紹介します。このブログを読んでも得られるものは少ないかもしれませんが、「へぇ」くらいのテンションで読んでいただければ幸いです。
【鳴きメンの存在意義。日本一ってなんだ?】
自分の長所(短所)は声がでかいことです。それの能力を買われて一回生は鳴きメンをやっていました。しかし、ひたすら鳴き練して、試合が終わったら怒られるを繰り返す。自分でも一体何してるかよくわからなくなっていました。そんな状態でリーグを迎えましたが、関大は一回戦こそ敗れてしまったものの、その後全勝。順位決定戦である対京橘戦で、鳴きメンの先輩の浦辺さんが「もう気合いや!気合いで鳴け!」と自分たちを鼓舞。「頼むから中てて!勝ってください!」という気持ちで鳴いていました。関大が勝利を収め、リーグ1位に輝いた時はチームの一員として、とても誇らしかった事を覚えています。鳴きメンでよかった!と思う瞬間でした。
その後、王座に進んだ関大は準優勝。私は「準優勝なんてすごい!」と感じましたが、その時メンバーとして引いていた冨田さんは悔し涙を流していました。この時、関大弓道部は本気で日本一を目指すチームなんだと再認識しました。口では「日本一を目指す」とよく聞いていましたが、全く理解していなかったことに、ここでやっと気づくことができました。
【コロナ禍でひたすらレベルを上げる。石井さんの一喝。】
2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るい、春合宿後、弓道部は初の活動自粛に追い込まれました。急に弓道を奪われて何か別のやることを求めた結果、ゲームにたどり着きます。自粛中は、同期2人と朝から晩まで、ひたすらゲームのレベル上げに勤しみました。この時は一時的に弓道から解放され、とても楽しかったのを覚えています。
自粛が明け、制限がありながらも練習を再開した時、同期男子全員(当時二回生)が石井さんに呼び出されました。「今、二回生が練習して的中をあげなければ意味がない。メンバーじゃない三回生になんて絶対になるな。」(だいぶマイルドにしました)とお叱りを受けました。この時、自粛明けだということを言い訳にして腑抜けていたことを自覚します。全くその通りだと感じました。それと同時に当時三回生だった石井さんに言われたことが、あまりにも衝撃的でした。今でも自分たちに危機感を与えてくださったこの一言は忘れることはできません。この日、「次自粛が来ても絶対に怠けないようにしよう」と決心しました。
【「まきわら部」結成!のちの大親友に。】
新型コロナの影響で、練習が止まったり、制限が設けられるようになり、二〜三回生の間は思うように活動できる時間が少なくなっていました。1回目の自粛で怠けていたことを大反省していた私は、3回目の自粛でとうとう自分の家に巻藁を設置する計画を立て始めました。ゴム弓や素引きでは限界があると感じたためです。正確には巻藁ネットと呼ばれるものを購入。それを立てかけるためにホームセンターで木を買ってきてDIY。とうとう自分の家のガレージに練習スペースを設けることができました!それと同時に同期5人で「まきわら部」を結成。自粛期間中や暇な時間にzoomを繋いで練習する会を立ち上げました。その効果は大きく、正直やる気が出ない日でも、誰かが「やるか」とLINEをすれば、「よし!」とやる気を出すことができました。良い仲間を持ったと感謝しています。
もう何度目かの自粛期間でもその活動は続き、その活動が実ったのが3年生春の自粛明けでした。自粛明けにスタートダッシュを決めることができ、その時運良く関西選手権のメンバー選考があり、見事初めてメンバーとして選ばれました!
そして現在、まきわら部のみんなとは卒部しても週3で会う大親友となりました。
【初の団体戦、メンバーの偉大さを知る。】
三年生の春、私は関西選手権大会Cチームのメンバーに選ばれ、初のメンバー入りを果たしました。活動制限がありながらもついにここまで来た!やっと始まる!とワクワクしていたのを覚えています。
しかし、メンバー練習に参加してすぐに今までとのレベルの違いを体感します。今まで練習はメンバーとメンバー外で分けられており、こんなにも空気感が違うことに気づいていませんでした。とにかくついていくのに必死でした。メンバー内で作った「やり切るリスト」は印刷してかけ箱に入れて何度も見返しました。しかし、関選では結果を残せず、的中を上げるどころか維持することもできずリーグが始まった辺りに、とうとうメンバーから外されてしまいます。同じ時期にメンバーとなった同期の信吾はリーグ戦でも要として活躍していました。
今思えば、この一回が最初で最後のチャンスでした。怠けていたつもりは全くありませんが、それでも思い出すと「本当にやりきれていたか」と思うことがあります。この出来事は人生の教訓となりました。
【念願の新人監督!】
弓道人生の中で一番辞めたいと思ったのはいつと聞かれたら、一回生の時のオフシーズンです。私は当時、練習量だけ見たらそこそこ上位でしたが、思うように的中はのびませんでした。運動音痴っぷりに絶望する中、織田さんや奈菜子さんをはじめとした新人監督の方々は、こんな自分に対しても変わらず丁寧な指導を続けてくださりました。この時の支えが本当に嬉しく、泣きそうになっていたのを覚えています。本当にありがとうございました。それから新人監督に憧れ、三回生で念願の新人監督に就任しました。
新人監督は一回生の今後を左右する責任重大な仕事です。しかし同時に、一回生の成長を見届けることは、自分のことのように嬉しかったです。また、教えるというのは自分の知識や体験の整理につながり、自分も成長できるとても良い機会となりました。
自分もあの時と同じように一回生を支えることができたでしょうか。怒られることやご迷惑をおかけしたことも多かったですが、ブレずにやりきれたのではと思っています。宮本、菅野、リーダー補佐3人(あとこうき)、クソお世話になりました。
【最後のあがき。怪我で緩み離れに】
私は三回生の冬ごろに、右腕の肘〜指先にかけての神経を痛める怪我をしてしまいました。3ヶ月ほど療養し、四回生の4月に復帰しましたが、怪我の影響なのか、緩み離れが直らなくなってしまいました。泣いても笑っても残り後半年という状況に、「まずいまずい」と焦りしかありませんでした。
そんな中、最後の1年をやり切るための、3つ目標と7つの行動指針を立てました。(紙に書いてバックに入れてずっと持っていました)そして「後悔しないためにこの目標のために精一杯やりきろう」と決めました。これらのおかげで、やることを明確にしながらブレずに練習に取り組むことができました。3年間たくさん失敗して後悔して反省した成果だと思っています。結局、リーグには間に合わず、悔しい気持ちでいっぱいです。しかし、最後の半年間の過ごし方に対する後悔ではなかったので、良しとさせてください。
そして、四回生の自分に丁寧にご指導くださったOBの岡田さん、全力で夏合宿を復活させてくれた幹部の人たちには感謝しかありません。チャンスをくれてありがとうございました。また、メンバーとして戦い抜いてくれた人たちにも感謝します。ありがとう!超尊敬してます!
ちなみに目標の内容は秘密です。
【後輩へ】
武道の修練において最も重要なのは「教え合い、ぶつかり合い、互いに成長する」ことだと自分は勝手に考えます。(あくまで個人の意見です)
弓道部にいれば自然とぶつかり合ったり、チャレンジする事にあふれているのではないでしょうか。後悔は先には立たないので、たくさん経験して失敗して学んでいってください。そうすれば、少なくとも卒部後、飲み会の話の話題には困らないはずです!みんなの今後がそんな体験に溢れていることを祈ります。”挑戦者たれ!”
【さいごに】
最後になりましたが、これまでの4年間、支えてくださった方々にこの場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
以上です。失礼します。
P.S. 自分が育てた一回生が新人監督やってたら泣きます。楽しみにしてますね!😍
関西大学体育会弓道部
新人監督リーダー 森口渓太郎
システム理工学部 四回生 初心者
先輩方や同期の秘めた思いみたいなものが垣間見られて、あんなに一緒にいたのに「知らん事ばっかやなぁ」と毎回驚きと感動がある卒業ブログ。おもしろいです。
今回は自分の4年間の思い出ベスト6🎉をご紹介します。このブログを読んでも得られるものは少ないかもしれませんが、「へぇ」くらいのテンションで読んでいただければ幸いです。
【鳴きメンの存在意義。日本一ってなんだ?】
自分の長所(短所)は声がでかいことです。それの能力を買われて一回生は鳴きメンをやっていました。しかし、ひたすら鳴き練して、試合が終わったら怒られるを繰り返す。自分でも一体何してるかよくわからなくなっていました。そんな状態でリーグを迎えましたが、関大は一回戦こそ敗れてしまったものの、その後全勝。順位決定戦である対京橘戦で、鳴きメンの先輩の浦辺さんが「もう気合いや!気合いで鳴け!」と自分たちを鼓舞。「頼むから中てて!勝ってください!」という気持ちで鳴いていました。関大が勝利を収め、リーグ1位に輝いた時はチームの一員として、とても誇らしかった事を覚えています。鳴きメンでよかった!と思う瞬間でした。
その後、王座に進んだ関大は準優勝。私は「準優勝なんてすごい!」と感じましたが、その時メンバーとして引いていた冨田さんは悔し涙を流していました。この時、関大弓道部は本気で日本一を目指すチームなんだと再認識しました。口では「日本一を目指す」とよく聞いていましたが、全く理解していなかったことに、ここでやっと気づくことができました。
【コロナ禍でひたすらレベルを上げる。石井さんの一喝。】
2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るい、春合宿後、弓道部は初の活動自粛に追い込まれました。急に弓道を奪われて何か別のやることを求めた結果、ゲームにたどり着きます。自粛中は、同期2人と朝から晩まで、ひたすらゲームのレベル上げに勤しみました。この時は一時的に弓道から解放され、とても楽しかったのを覚えています。
自粛が明け、制限がありながらも練習を再開した時、同期男子全員(当時二回生)が石井さんに呼び出されました。「今、二回生が練習して的中をあげなければ意味がない。メンバーじゃない三回生になんて絶対になるな。」(だいぶマイルドにしました)とお叱りを受けました。この時、自粛明けだということを言い訳にして腑抜けていたことを自覚します。全くその通りだと感じました。それと同時に当時三回生だった石井さんに言われたことが、あまりにも衝撃的でした。今でも自分たちに危機感を与えてくださったこの一言は忘れることはできません。この日、「次自粛が来ても絶対に怠けないようにしよう」と決心しました。
【「まきわら部」結成!のちの大親友に。】
新型コロナの影響で、練習が止まったり、制限が設けられるようになり、二〜三回生の間は思うように活動できる時間が少なくなっていました。1回目の自粛で怠けていたことを大反省していた私は、3回目の自粛でとうとう自分の家に巻藁を設置する計画を立て始めました。ゴム弓や素引きでは限界があると感じたためです。正確には巻藁ネットと呼ばれるものを購入。それを立てかけるためにホームセンターで木を買ってきてDIY。とうとう自分の家のガレージに練習スペースを設けることができました!それと同時に同期5人で「まきわら部」を結成。自粛期間中や暇な時間にzoomを繋いで練習する会を立ち上げました。その効果は大きく、正直やる気が出ない日でも、誰かが「やるか」とLINEをすれば、「よし!」とやる気を出すことができました。良い仲間を持ったと感謝しています。
もう何度目かの自粛期間でもその活動は続き、その活動が実ったのが3年生春の自粛明けでした。自粛明けにスタートダッシュを決めることができ、その時運良く関西選手権のメンバー選考があり、見事初めてメンバーとして選ばれました!
そして現在、まきわら部のみんなとは卒部しても週3で会う大親友となりました。
【初の団体戦、メンバーの偉大さを知る。】
三年生の春、私は関西選手権大会Cチームのメンバーに選ばれ、初のメンバー入りを果たしました。活動制限がありながらもついにここまで来た!やっと始まる!とワクワクしていたのを覚えています。
しかし、メンバー練習に参加してすぐに今までとのレベルの違いを体感します。今まで練習はメンバーとメンバー外で分けられており、こんなにも空気感が違うことに気づいていませんでした。とにかくついていくのに必死でした。メンバー内で作った「やり切るリスト」は印刷してかけ箱に入れて何度も見返しました。しかし、関選では結果を残せず、的中を上げるどころか維持することもできずリーグが始まった辺りに、とうとうメンバーから外されてしまいます。同じ時期にメンバーとなった同期の信吾はリーグ戦でも要として活躍していました。
今思えば、この一回が最初で最後のチャンスでした。怠けていたつもりは全くありませんが、それでも思い出すと「本当にやりきれていたか」と思うことがあります。この出来事は人生の教訓となりました。
【念願の新人監督!】
弓道人生の中で一番辞めたいと思ったのはいつと聞かれたら、一回生の時のオフシーズンです。私は当時、練習量だけ見たらそこそこ上位でしたが、思うように的中はのびませんでした。運動音痴っぷりに絶望する中、織田さんや奈菜子さんをはじめとした新人監督の方々は、こんな自分に対しても変わらず丁寧な指導を続けてくださりました。この時の支えが本当に嬉しく、泣きそうになっていたのを覚えています。本当にありがとうございました。それから新人監督に憧れ、三回生で念願の新人監督に就任しました。
新人監督は一回生の今後を左右する責任重大な仕事です。しかし同時に、一回生の成長を見届けることは、自分のことのように嬉しかったです。また、教えるというのは自分の知識や体験の整理につながり、自分も成長できるとても良い機会となりました。
自分もあの時と同じように一回生を支えることができたでしょうか。怒られることやご迷惑をおかけしたことも多かったですが、ブレずにやりきれたのではと思っています。宮本、菅野、リーダー補佐3人(あとこうき)、クソお世話になりました。
【最後のあがき。怪我で緩み離れに】
私は三回生の冬ごろに、右腕の肘〜指先にかけての神経を痛める怪我をしてしまいました。3ヶ月ほど療養し、四回生の4月に復帰しましたが、怪我の影響なのか、緩み離れが直らなくなってしまいました。泣いても笑っても残り後半年という状況に、「まずいまずい」と焦りしかありませんでした。
そんな中、最後の1年をやり切るための、3つ目標と7つの行動指針を立てました。(紙に書いてバックに入れてずっと持っていました)そして「後悔しないためにこの目標のために精一杯やりきろう」と決めました。これらのおかげで、やることを明確にしながらブレずに練習に取り組むことができました。3年間たくさん失敗して後悔して反省した成果だと思っています。結局、リーグには間に合わず、悔しい気持ちでいっぱいです。しかし、最後の半年間の過ごし方に対する後悔ではなかったので、良しとさせてください。
そして、四回生の自分に丁寧にご指導くださったOBの岡田さん、全力で夏合宿を復活させてくれた幹部の人たちには感謝しかありません。チャンスをくれてありがとうございました。また、メンバーとして戦い抜いてくれた人たちにも感謝します。ありがとう!超尊敬してます!
ちなみに目標の内容は秘密です。
【後輩へ】
武道の修練において最も重要なのは「教え合い、ぶつかり合い、互いに成長する」ことだと自分は勝手に考えます。(あくまで個人の意見です)
弓道部にいれば自然とぶつかり合ったり、チャレンジする事にあふれているのではないでしょうか。後悔は先には立たないので、たくさん経験して失敗して学んでいってください。そうすれば、少なくとも卒部後、飲み会の話の話題には困らないはずです!みんなの今後がそんな体験に溢れていることを祈ります。”挑戦者たれ!”
【さいごに】
最後になりましたが、これまでの4年間、支えてくださった方々にこの場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
以上です。失礼します。
P.S. 自分が育てた一回生が新人監督やってたら泣きます。楽しみにしてますね!😍
関西大学体育会弓道部
新人監督リーダー 森口渓太郎
システム理工学部 四回生 初心者
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