4回生の振り返り〜好きこそ物の上手なれ〜
- 2023/02/11
- 18:46
こんにちは。関西大学体育会弓道部四回生の菅野です。
私の半生を綴りました。差し支えなければお読みください。
一回生の頃、私は部活動を続けるか迷っていました。経験者として入部したのにも関わらず初心者の人達がどんどん上達していく中で、私は実力がつかずに停滞していました。また、その頃から勉強がかなり忙しくなり、それを理由にしてコーチに部活動を辞める相談をしたところ、
「部活動と勉強を両立してこそ大人への第一歩だし、真に価値がある大学生活になる」
という言葉をいただきました。これまで何かにつけてしんどいことから逃げてきた私にこの言葉は心に突き刺さりました。部活動を辞めてサークルで楽しく過ごすことを夢見たこともありましたが、このことがきっかけでもう私は逃げる選択肢を捨て、弓道部で四年間真剣に取り組んでやろうと思いました。
そんなことがありながら迎えた夏合宿、そのメンバー割りで、経験者の中で私一人だけメンバー外だった時はかなり落ち込んだのを覚えています。立ちでの的中が良ければ、メンバー候補、メンバーの練習に参加できるというような形式だったのですが、同期の初心者である清水や藤井はその練習にどんどん参加していたのにも関わらず私は一度も参加することは出来ませんでした。それでも私が折れることがなかったのは、私よりも努力している同期がいたからです。夏合宿では私の努力が足りないことをつくづく思い知らされました。
秋になり、当時の四回生の方が引退された頃、私は本気で試合に出たいと思い始めるようになりました。そのきっかけは褒められたものではなく、ただただ注目をあびたいという理由でしたが、いつしか練習量が増え、練習中にも集中する時間が以前より増えていき、次の大きな大会である新人戦に向けて努力していました。
春になり、私は新人戦の先発メンバーに選ばれることが多くなりました。春合宿があり、そこで先発の地位を確立しようとしていた矢先、私が調子を崩してしまい、同期にリリーフがかかりました。これまでリリーフがかかったことが無かったため本当にショックでした。しかし、以前のように諦めるようなことはなく、本気で先発を取り返してやろうと努力したことを覚えています。以前までならそこで諦めていたかもしれませんが、もうこの頃から私の逃げの考えは無くなっていました。
結局、新人戦はコロナにより開催されることなく、部活動も自粛期間になりましたが、この時に新人戦に向けて努力したことは今でも良かったと思っています。
二回生になり、試合がない中で私はメンバーに選んでいただき、インカレやリーグに向けての練習が始まりました。そんなある日、春から夏になる頃に私の祖母が入院することになり、そのお見舞いに病院に向かいました。病室にて祖母から、「部活頑張ってるんか?」と聞かれた時に、私は迷いなく、「頑張ってるよ」と答えることができました。その直近にインカレが名古屋で開催される予定だったので、それに向けて努力していることも伝えると、安心したように笑っていたことを覚えています。
その頃からコロナが拡大していき、インカレが中止になりました。しかし、リーグ戦がもうすぐそこまで迫っていたので落胆している暇はありませんでした。
秋になり、リーグ戦が始まりました。その年は代替試合ということもあり、2戦しかありませんでしたが、どちらも先発で試合に出場することができ、どちらも勝利することが出来ました。そのことを祖母に伝えるととても喜んでいました。
冬になり、定期試験があるあたりの期間に祖母は亡くなりました。その当時は様々なことが折り重なって本当にメンタルがしんどかったのですが、なんとか切り替え、次の年に向けて練習をしていました。
三回生になり、そこから新人戦や練習試合があり迎えたインカレ予選、予選は各大学の道場でしたが、本戦の開催地は名古屋でした。私は祖母にインカレで名古屋に行くと言っていたのが心残りだったのですが、次の年にチャンスが回ってきたと思い、絶対に通ってやろうと心に決めていました。その当時、部の調子はあまり良くなく、インカレ予選を通過するのは厳しいと思われていたのですが、なんとか的中がかみ合って予選を通過することができました。昨年からこのこと夢見ていたので、大学からの帰宅途中で泣いてしまったのを覚えています。
試合に勝って泣いたのはこの試合が最初で最後になってしまったのが悔やまれるところでした。
四回生になり、部活動最後の年になりました。私はそれまで先輩方の背中を追いかけて練習をしていたので、ここからが本当に部を背負った戦いになると実感しました。就活や研究室もあり、四年間の中で一番大変な一年間でした。そんな中でも一年間気を抜くことなく練習し続けられたのは、かつての先輩方がそうして下さったおかげであり、必死にメンバーを支え、最後まで一緒に努力してくれた同期のおかげであり、ずっと慕ってくれている後輩がいたおかげです。この一年はとても大変でしたが、一番チームの大切さを実感した一年でもありました。
さて、私が引退してから強く思うことは、人への感謝はとても大切だということです。4年間を振り返ってみると、下回生の時に努力するきっかけをくださったのは先輩方、上回生になってからも努力を続けてこれたのは一緒に努力してくれた同期や後輩がいたからでした。
試合で活躍できた時にラインをくださる先輩方や、試合で勝てずに心が折れそうになった時に話を聞いて支えてくれた同期や、練習の班が違うのにも関わらず射技を見てほしいと頼んでくれた後輩もいました。そういったきっかけが積み重なって今の私があるのだと実感します。
きっとこの部活に入っていなかったらこの感謝を知らずに生きていくことになっていました。そう考えた時、やはり私はこの弓道部に入部して本当によかったと思っています。
また、退部まで考えていた私を引き止めてくださったコーチ、的中の波が激しいときにいつもお世話になった監督、だらしない姿ばかり見せたのに最後まで応援してくれた両親、その他にも弓道部の存続にご援助いただいた方々、本当にありがとうございました。心より感謝致します。
最後に後輩へ。
私が部活動に4年間在籍できた理由は、弓道部の部員が大好きだからです。そうでなくてはもう既に退部していたと思います。どうか仲間を大切にして、練習に励んでください。今後の活躍に期待しています。
ご拝読頂きありがとうございました。
関西大学体育会弓道部
新人監督副リーダー 菅野竣介
システム理工学部 四回生 経験者
私の半生を綴りました。差し支えなければお読みください。
一回生の頃、私は部活動を続けるか迷っていました。経験者として入部したのにも関わらず初心者の人達がどんどん上達していく中で、私は実力がつかずに停滞していました。また、その頃から勉強がかなり忙しくなり、それを理由にしてコーチに部活動を辞める相談をしたところ、
「部活動と勉強を両立してこそ大人への第一歩だし、真に価値がある大学生活になる」
という言葉をいただきました。これまで何かにつけてしんどいことから逃げてきた私にこの言葉は心に突き刺さりました。部活動を辞めてサークルで楽しく過ごすことを夢見たこともありましたが、このことがきっかけでもう私は逃げる選択肢を捨て、弓道部で四年間真剣に取り組んでやろうと思いました。
そんなことがありながら迎えた夏合宿、そのメンバー割りで、経験者の中で私一人だけメンバー外だった時はかなり落ち込んだのを覚えています。立ちでの的中が良ければ、メンバー候補、メンバーの練習に参加できるというような形式だったのですが、同期の初心者である清水や藤井はその練習にどんどん参加していたのにも関わらず私は一度も参加することは出来ませんでした。それでも私が折れることがなかったのは、私よりも努力している同期がいたからです。夏合宿では私の努力が足りないことをつくづく思い知らされました。
秋になり、当時の四回生の方が引退された頃、私は本気で試合に出たいと思い始めるようになりました。そのきっかけは褒められたものではなく、ただただ注目をあびたいという理由でしたが、いつしか練習量が増え、練習中にも集中する時間が以前より増えていき、次の大きな大会である新人戦に向けて努力していました。
春になり、私は新人戦の先発メンバーに選ばれることが多くなりました。春合宿があり、そこで先発の地位を確立しようとしていた矢先、私が調子を崩してしまい、同期にリリーフがかかりました。これまでリリーフがかかったことが無かったため本当にショックでした。しかし、以前のように諦めるようなことはなく、本気で先発を取り返してやろうと努力したことを覚えています。以前までならそこで諦めていたかもしれませんが、もうこの頃から私の逃げの考えは無くなっていました。
結局、新人戦はコロナにより開催されることなく、部活動も自粛期間になりましたが、この時に新人戦に向けて努力したことは今でも良かったと思っています。
二回生になり、試合がない中で私はメンバーに選んでいただき、インカレやリーグに向けての練習が始まりました。そんなある日、春から夏になる頃に私の祖母が入院することになり、そのお見舞いに病院に向かいました。病室にて祖母から、「部活頑張ってるんか?」と聞かれた時に、私は迷いなく、「頑張ってるよ」と答えることができました。その直近にインカレが名古屋で開催される予定だったので、それに向けて努力していることも伝えると、安心したように笑っていたことを覚えています。
その頃からコロナが拡大していき、インカレが中止になりました。しかし、リーグ戦がもうすぐそこまで迫っていたので落胆している暇はありませんでした。
秋になり、リーグ戦が始まりました。その年は代替試合ということもあり、2戦しかありませんでしたが、どちらも先発で試合に出場することができ、どちらも勝利することが出来ました。そのことを祖母に伝えるととても喜んでいました。
冬になり、定期試験があるあたりの期間に祖母は亡くなりました。その当時は様々なことが折り重なって本当にメンタルがしんどかったのですが、なんとか切り替え、次の年に向けて練習をしていました。
三回生になり、そこから新人戦や練習試合があり迎えたインカレ予選、予選は各大学の道場でしたが、本戦の開催地は名古屋でした。私は祖母にインカレで名古屋に行くと言っていたのが心残りだったのですが、次の年にチャンスが回ってきたと思い、絶対に通ってやろうと心に決めていました。その当時、部の調子はあまり良くなく、インカレ予選を通過するのは厳しいと思われていたのですが、なんとか的中がかみ合って予選を通過することができました。昨年からこのこと夢見ていたので、大学からの帰宅途中で泣いてしまったのを覚えています。
試合に勝って泣いたのはこの試合が最初で最後になってしまったのが悔やまれるところでした。
四回生になり、部活動最後の年になりました。私はそれまで先輩方の背中を追いかけて練習をしていたので、ここからが本当に部を背負った戦いになると実感しました。就活や研究室もあり、四年間の中で一番大変な一年間でした。そんな中でも一年間気を抜くことなく練習し続けられたのは、かつての先輩方がそうして下さったおかげであり、必死にメンバーを支え、最後まで一緒に努力してくれた同期のおかげであり、ずっと慕ってくれている後輩がいたおかげです。この一年はとても大変でしたが、一番チームの大切さを実感した一年でもありました。
さて、私が引退してから強く思うことは、人への感謝はとても大切だということです。4年間を振り返ってみると、下回生の時に努力するきっかけをくださったのは先輩方、上回生になってからも努力を続けてこれたのは一緒に努力してくれた同期や後輩がいたからでした。
試合で活躍できた時にラインをくださる先輩方や、試合で勝てずに心が折れそうになった時に話を聞いて支えてくれた同期や、練習の班が違うのにも関わらず射技を見てほしいと頼んでくれた後輩もいました。そういったきっかけが積み重なって今の私があるのだと実感します。
きっとこの部活に入っていなかったらこの感謝を知らずに生きていくことになっていました。そう考えた時、やはり私はこの弓道部に入部して本当によかったと思っています。
また、退部まで考えていた私を引き止めてくださったコーチ、的中の波が激しいときにいつもお世話になった監督、だらしない姿ばかり見せたのに最後まで応援してくれた両親、その他にも弓道部の存続にご援助いただいた方々、本当にありがとうございました。心より感謝致します。
最後に後輩へ。
私が部活動に4年間在籍できた理由は、弓道部の部員が大好きだからです。そうでなくてはもう既に退部していたと思います。どうか仲間を大切にして、練習に励んでください。今後の活躍に期待しています。
ご拝読頂きありがとうございました。
関西大学体育会弓道部
新人監督副リーダー 菅野竣介
システム理工学部 四回生 経験者
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