4回生の振り返り 〜私の7年間〜
- 2023/02/27
- 15:45
皆さん、こんにちは。
今年度、関西大学体育会弓道部男子副将を務めさせて頂きました、坪田竜司です。同期のブログを読みましたが、そこには沢山大切な事が書いてありました。なので、このブログでは私の経験に基づいた私だから伝えられると思ったことを書こうと思います。鉢巻きを付けたくらい気合いを入れて書いたので、皆さんも私と同じ熱量で読んで頂けたらと思います。
さて、引退後の今ですが高校から始めた弓道部での活動が終わったことを実感するとともに、心の中にぽっかり穴が開いたような寂しい気持ちでいます。ふとした時に思い出すことは、あの時頑張って良かったな、あの時あの決断をして良かったな、自分を褒めたくなる日々が思い出されます。そればかりではなく、あの時何故別の言葉を掛けれなかったのだろう、あの時何故もっと良い行動を取れなかったのだろう、もっと想像力を働かせていればと後悔が残る苦い日々も思い出されます。私の場合は後者の苦い思い出の方が断然多いです。それだけ失敗し、周囲の人に迷惑をかけてきたということかもしれません。しかし、今ではどういった場面で自分の短所などが出てしまうのかは、失敗の蓄積とその重みから把握できるようになりました。ここだけは失敗してよかったと辛うじて思える部分かもしれません。
私は高1の秋学期から弓道を始めました。理由は、夏休みにゲームしかしていなくて「このままでいいのだろうか。」というありきたりな焦りから入部を決意したのです。あの時の決断がまさかこれほど私の人生を変えることになるとは思ってもいませんでした。実際にこの7年間で、高校の弓道場全焼、インターハイ出場、スポーツ推薦での入学(勉強では到底無理な大学です。)、コロナ禍での活動、関西一部リーグの大学の男子副将を務めるなど他にも沢山ありますが色んな経験をすることができました。それらを振り返ると控えめに言っても、私の弓道人生は波乱万丈でした。今では、一重に私がもの凄く単純で馬鹿だったからだと冷静に客観視しています。
ここで冒頭でも書いた通り私の経験を基に、その時考えた事、気づいた事を正直に書こうと思います。そのほとんどが私にとっては苦い経験でした。なので、十分にリテラシーを持って読んで頂けたら幸いです。部活動をしていく中で、監督・コーチは挨拶を大切にしなさいと良く指導してくださっていました。私も本当に大切だと思います。弓道を7年間続けていく中で「大切なものは大切なのだ。」といった風な理解ではなく、実体験を持って大切なのだ気付かされました。私の7年間の経験で「えっ!」と思った方もいると思いますが、高校の弓道場全焼がその経験に当たります。それは私が高校2年生の12月、これから自分達の代で頑張ろうと意気込んでいた時期に起こりました。過去の事例を見れば、廃部が選択肢として出てくるのは当然といったところでした。しかし、全国の500名を超える団体、個人様から温かいご支援を頂き活動再開をすることができ、現在に至っては道場の再建にまでその支援の輪が広がったのです。感謝してもしきれません。その時、現在所属している関西大学体育会弓道部の先輩方からもご支援を頂きました。(オープンキャンパスで宮本コーチと初めてお会いした際に、感謝の気持ちを伝えたこと今でも鮮明に覚えています。)こんなにも多くの方々が自分たちの活動を支援してくださっているのだと知るきっかけになったのです。これほどのことを経験したので、当時の幼稚な私でも気づくことができたと思っています。そしてこれは地元でいつもお世話になっている人達も同じでした。福井県内の弓道連盟の方々からもご支援と温かいお言葉を掛けて頂きました。その時に、今まで何気なくしていた挨拶がどれ程大切なものだったのかということに気付きました。部活動をしていく中で、地域の方々や活動を知ってくださっている方々が一時でも私たちの活動を心の中で応援してくださっているのだと。道場周りやトイレを掃除してくださっている清掃員の方々や地域の方々も心の中で私たちの活動を応援してくれているのだと。もっとわかりやすく言うと、一度も関わったことがない他競技のカイザーズが成績を残したり頑張っている姿を見ると、嬉しく思ったり勇気を貰ったりするといったことに似ていると思います。だからこそ、そういった人達に気持ち良く挨拶することが少しでも恩返しになるのだと考えています。
話の途中ですが読んでいる方の中で「少し綺麗な話にし過ぎではないか?」といった感想をお持ちの方もいいらっしゃるかもしれません。なので、これを綺麗事のままにしない為にも、ここで勇気を出して嘘偽りなく書こうと思います。それは道場が燃える前日、最後に道場を出たたった一人の部員が私だと言うことです。(※弓道場全焼は夜中に起きたので、幸いにも負傷者はゼロ人でした。また、原因は不明で老朽化であろうと推測されました。なので、私の過失はなかったと後に伝えられています。)現場検証等も一人で参加しましたが、道場には光の反射が無く奥行きが目で認識できないほどの黒い炭一色になっていました。こういった経緯から紛れもない当事者だったので、温かいご支援には心の底から感謝しましたし、挨拶の大切さに気付いたというわけです。
大学4年間の中では特に宮本コーチから大切なお話をしていただく機会が多く、それに影響されて行動が変わるといったことが多々ありました。(春合宿で他より1回でも多く筋トレをしなさいと言われた時は、他よりも5回多く筋トレをしました。筋トレになるとちゃんとやってるか見に来る時のコーチの笑顔も鮮明に覚えています。)これと同様に私の経験を伝えることで読んでいる人の中の数人の行動でも変わればいいなと、伝わればいいなと思い書きました。この時から目的・目標が「全国で優勝し、北陸高校の自分が頑張っていることを全国の支援をしてくださった人達に伝える。感謝の気持ちを伝える。」になりました。県大会で個人入賞すらしたことがない自分がこんな目的・目標を立てるきっかけをくれたのがこの出来事でした。同期に「俺は全国で優勝して感謝を伝えるんだ。」と言ったときは「は?」的な反応が返ってきたことを覚えています。こういったエピソードからも私がどれだけ単純で馬鹿な奴かということがわかります。高校では全国優勝なんて到底及びませんでしたから大学でも同じ目的・目標を持って今度こそはと思っていました。
だからこそ、過去に戻れるなら一回生の時の幼稚で馬鹿な自分に向かって「不貞腐れてないでさっさと練習しろ!」と言ってやりたいです。素直に練習しますと言うまで、文字通りボコボコに殴ると思います。(当時の自分は練習量はそんなに重要でないと尖りまくっていましたから…。)当時の四回生の幹部の方々をはじめとするお世話になった先輩方とは今なら意見が合いそうです。なので、どうしようもない私に対して優しくも厳しく接してくださった先輩方には頭が上がりません。本当にお世話になりました。部と自分の成績でこういったお世話になった人達に感謝を伝えたかったです。これだけが私の心残りです。
私にとって最後であるリーグ戦の期間中に学生スポーツの良さというものに気づきました。母校の北陸高校弓道部には「明弓(めいきゅう)」という部活を象徴するスローガンがあります。(人を、周囲を明るくするような弓を引きなさいと言う意味です。)学生スポーツは家族、監督・コーチ、OB・OGの方々を含め、たくさんの人達に支えて頂くことで成り立っています。だからこそ、独りよがりではなく明弓を引く。もし、そこに結果がついてきたのなら、祝福してくれる人がその分だけ多いのです。これは本当に恵まれていることで、社会人で弓を引いていていては、これほど多くの方々が日々応援してくれて、支えてくれて、成績や努力を一緒に喜んでくれるという環境はあまりないと思います。インターハイ出場が決まった時、当時の監督コーチ、地域の方々から言われた言葉や家族に報告できたときの喜びは何にも代えがたいものでした。これは学生スポーツでないと味わえないものだと思います。特にプロの世界が無い弓道に関しては。なので、学生スポーツをしている人にはこの気持ちを味わってほしいなと思っています。だからこそ、結果で感謝を伝えたかったです。この四年間ほど自分の至らなさを強く感じた日々はありませんでした。その中で、努力は必ずしも報われないということを身に染みて理解できたのは良い経験になったと思っています。この残酷さを知ってもなお、ひたむきに努力できる人は強い人だと思うので、今後はそこを目指して頑張ろうと思います。
結構書いてきましたが、ブログをきっかけに4年間を見つめ直していく中で、これも書きたい、あれも書きたいと思ってしまいます。なので、もう少しだけ…
一回生の春合宿で早気を直さずにいて、新人戦形式の練習中、大前の3本目を抜いた時に「帰れ!」とコーチに思いっきり怒鳴られた日のこととか…。当時の主将をされていた津田さんが監督コーチの反対を押し切って僕をメンバーに上げてくれた日のこととか…。コーチに怒鳴られた時は「うるせぇ、絶対に4本目中ててやる。」と思って3中し、さも平気かのように退場しました。ですが、この後の昼食では一人で半泣きになりながら食べたのを覚えています。当時のメンバー基準である週間的中率0.75を二週間連続で上回った事と早気ではあるものの改善傾向にあったことから津田さんは上げる決断をしてくださいました。しかし、2〜3週間後には早気に戻り、的中率も6割前半にまで下がったためメンバー落ちしてしまいました。当時は津田さんの目が見れなかったですね。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私は叱られてばかりでしたから、こんな日々が沢山思い出されます。
こんなダメダメな私が色んな経験と失敗をして最後までやり切れたのは、私の同期がとっても優しい人達だったからです。私の同期は他人に寄り添い一緒に頑張ってくれるタイプの良い奴らでした。そんな同期と戦った最後の年は一日一日が戦いでした。私が副将に立候補した時は、最後を後悔の気持ちで終わりたくない、終わってほしくないから最後の年は(優しい同期のように)部員と寄り添い一緒に頑張る副将になりたいと話したことを覚えています。これは三回生の時に、最後まで諦めずにもの凄い熱量で黙々と練習している先輩の姿から沢山の勇気をもらっていたので僕もそうなりたいと思ったからです。練習中での私の声掛けについて書いてくれている同期がいますが、それを見ると少しはできていたのかなと思います。「部員に頑張れと言うのは実は自分に向かって言っているんだ。」という宮本コーチのお話がここで生きました。(下回生の時に「宮本コーチの教えは後に効いてくる。」という話を聞いたことがありますが、本当でした。)同じ熱量で頑張っている同期の姿を見て、毎日のように勇気をもらっていました。
同期へ
本当にお世話になりました、ありがとう。これからもよろしく!
猪尾監督、宮本コーチには大変お世話になりました。最後の最後まで少しは期待されていたと感じていたのでなんとか自分の力でその期待に応えたいと考えていました。また、チームを支えたいと考えていました。時には私に対して声掛けもしてくださっていましたから尚更です。この四年間で成長できたのは、監督・コーチが私に厳しく接してくださったからだと思っています。私にその原因があるということも勿論あるのですが駄目な部分に気づく機会を与えて頂きました。今後社会に出てから何かミスをした時、挫けそうになった時には監督コーチから叱られていた日々が思い出されると思います。それと同時に、叱ってくださるだろうなと言葉すら出てくるかもしれません。直接叱られていなくてもそういったところで今後の私の人生の根底で支えてくださると思っています。4年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
家族へ
高校の時から今まで色んな場面で心配を掛けたと思いますが、最後まで自分のしたい弓道をさせてくれてありがとうございました。7年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
最後になりますが、私が現在に至るまで7年間弓道に打ち込めたのは、関わってくださった方々との大切なご縁のおかげです。特に、北陸高校弓道部に支援をしてくださった方々、一時でも心配をしてくださった方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげで今の私があります。自分の成績で感謝を伝えることはできなかったのでこの場を借りて言わせてください。
あの時は温かいご支援とお心遣いありがとうございました。当時の私では到底向き合えなかった事でしたのでとても勇気をもらいました。心の底から感謝しています。
関西大学体育会弓道部
男子副将 坪田竜司
社会安全学部 四回生 経験者
今年度、関西大学体育会弓道部男子副将を務めさせて頂きました、坪田竜司です。同期のブログを読みましたが、そこには沢山大切な事が書いてありました。なので、このブログでは私の経験に基づいた私だから伝えられると思ったことを書こうと思います。鉢巻きを付けたくらい気合いを入れて書いたので、皆さんも私と同じ熱量で読んで頂けたらと思います。
さて、引退後の今ですが高校から始めた弓道部での活動が終わったことを実感するとともに、心の中にぽっかり穴が開いたような寂しい気持ちでいます。ふとした時に思い出すことは、あの時頑張って良かったな、あの時あの決断をして良かったな、自分を褒めたくなる日々が思い出されます。そればかりではなく、あの時何故別の言葉を掛けれなかったのだろう、あの時何故もっと良い行動を取れなかったのだろう、もっと想像力を働かせていればと後悔が残る苦い日々も思い出されます。私の場合は後者の苦い思い出の方が断然多いです。それだけ失敗し、周囲の人に迷惑をかけてきたということかもしれません。しかし、今ではどういった場面で自分の短所などが出てしまうのかは、失敗の蓄積とその重みから把握できるようになりました。ここだけは失敗してよかったと辛うじて思える部分かもしれません。
私は高1の秋学期から弓道を始めました。理由は、夏休みにゲームしかしていなくて「このままでいいのだろうか。」というありきたりな焦りから入部を決意したのです。あの時の決断がまさかこれほど私の人生を変えることになるとは思ってもいませんでした。実際にこの7年間で、高校の弓道場全焼、インターハイ出場、スポーツ推薦での入学(勉強では到底無理な大学です。)、コロナ禍での活動、関西一部リーグの大学の男子副将を務めるなど他にも沢山ありますが色んな経験をすることができました。それらを振り返ると控えめに言っても、私の弓道人生は波乱万丈でした。今では、一重に私がもの凄く単純で馬鹿だったからだと冷静に客観視しています。
ここで冒頭でも書いた通り私の経験を基に、その時考えた事、気づいた事を正直に書こうと思います。そのほとんどが私にとっては苦い経験でした。なので、十分にリテラシーを持って読んで頂けたら幸いです。部活動をしていく中で、監督・コーチは挨拶を大切にしなさいと良く指導してくださっていました。私も本当に大切だと思います。弓道を7年間続けていく中で「大切なものは大切なのだ。」といった風な理解ではなく、実体験を持って大切なのだ気付かされました。私の7年間の経験で「えっ!」と思った方もいると思いますが、高校の弓道場全焼がその経験に当たります。それは私が高校2年生の12月、これから自分達の代で頑張ろうと意気込んでいた時期に起こりました。過去の事例を見れば、廃部が選択肢として出てくるのは当然といったところでした。しかし、全国の500名を超える団体、個人様から温かいご支援を頂き活動再開をすることができ、現在に至っては道場の再建にまでその支援の輪が広がったのです。感謝してもしきれません。その時、現在所属している関西大学体育会弓道部の先輩方からもご支援を頂きました。(オープンキャンパスで宮本コーチと初めてお会いした際に、感謝の気持ちを伝えたこと今でも鮮明に覚えています。)こんなにも多くの方々が自分たちの活動を支援してくださっているのだと知るきっかけになったのです。これほどのことを経験したので、当時の幼稚な私でも気づくことができたと思っています。そしてこれは地元でいつもお世話になっている人達も同じでした。福井県内の弓道連盟の方々からもご支援と温かいお言葉を掛けて頂きました。その時に、今まで何気なくしていた挨拶がどれ程大切なものだったのかということに気付きました。部活動をしていく中で、地域の方々や活動を知ってくださっている方々が一時でも私たちの活動を心の中で応援してくださっているのだと。道場周りやトイレを掃除してくださっている清掃員の方々や地域の方々も心の中で私たちの活動を応援してくれているのだと。もっとわかりやすく言うと、一度も関わったことがない他競技のカイザーズが成績を残したり頑張っている姿を見ると、嬉しく思ったり勇気を貰ったりするといったことに似ていると思います。だからこそ、そういった人達に気持ち良く挨拶することが少しでも恩返しになるのだと考えています。
話の途中ですが読んでいる方の中で「少し綺麗な話にし過ぎではないか?」といった感想をお持ちの方もいいらっしゃるかもしれません。なので、これを綺麗事のままにしない為にも、ここで勇気を出して嘘偽りなく書こうと思います。それは道場が燃える前日、最後に道場を出たたった一人の部員が私だと言うことです。(※弓道場全焼は夜中に起きたので、幸いにも負傷者はゼロ人でした。また、原因は不明で老朽化であろうと推測されました。なので、私の過失はなかったと後に伝えられています。)現場検証等も一人で参加しましたが、道場には光の反射が無く奥行きが目で認識できないほどの黒い炭一色になっていました。こういった経緯から紛れもない当事者だったので、温かいご支援には心の底から感謝しましたし、挨拶の大切さに気付いたというわけです。
大学4年間の中では特に宮本コーチから大切なお話をしていただく機会が多く、それに影響されて行動が変わるといったことが多々ありました。(春合宿で他より1回でも多く筋トレをしなさいと言われた時は、他よりも5回多く筋トレをしました。筋トレになるとちゃんとやってるか見に来る時のコーチの笑顔も鮮明に覚えています。)これと同様に私の経験を伝えることで読んでいる人の中の数人の行動でも変わればいいなと、伝わればいいなと思い書きました。この時から目的・目標が「全国で優勝し、北陸高校の自分が頑張っていることを全国の支援をしてくださった人達に伝える。感謝の気持ちを伝える。」になりました。県大会で個人入賞すらしたことがない自分がこんな目的・目標を立てるきっかけをくれたのがこの出来事でした。同期に「俺は全国で優勝して感謝を伝えるんだ。」と言ったときは「は?」的な反応が返ってきたことを覚えています。こういったエピソードからも私がどれだけ単純で馬鹿な奴かということがわかります。高校では全国優勝なんて到底及びませんでしたから大学でも同じ目的・目標を持って今度こそはと思っていました。
だからこそ、過去に戻れるなら一回生の時の幼稚で馬鹿な自分に向かって「不貞腐れてないでさっさと練習しろ!」と言ってやりたいです。素直に練習しますと言うまで、文字通りボコボコに殴ると思います。(当時の自分は練習量はそんなに重要でないと尖りまくっていましたから…。)当時の四回生の幹部の方々をはじめとするお世話になった先輩方とは今なら意見が合いそうです。なので、どうしようもない私に対して優しくも厳しく接してくださった先輩方には頭が上がりません。本当にお世話になりました。部と自分の成績でこういったお世話になった人達に感謝を伝えたかったです。これだけが私の心残りです。
私にとって最後であるリーグ戦の期間中に学生スポーツの良さというものに気づきました。母校の北陸高校弓道部には「明弓(めいきゅう)」という部活を象徴するスローガンがあります。(人を、周囲を明るくするような弓を引きなさいと言う意味です。)学生スポーツは家族、監督・コーチ、OB・OGの方々を含め、たくさんの人達に支えて頂くことで成り立っています。だからこそ、独りよがりではなく明弓を引く。もし、そこに結果がついてきたのなら、祝福してくれる人がその分だけ多いのです。これは本当に恵まれていることで、社会人で弓を引いていていては、これほど多くの方々が日々応援してくれて、支えてくれて、成績や努力を一緒に喜んでくれるという環境はあまりないと思います。インターハイ出場が決まった時、当時の監督コーチ、地域の方々から言われた言葉や家族に報告できたときの喜びは何にも代えがたいものでした。これは学生スポーツでないと味わえないものだと思います。特にプロの世界が無い弓道に関しては。なので、学生スポーツをしている人にはこの気持ちを味わってほしいなと思っています。だからこそ、結果で感謝を伝えたかったです。この四年間ほど自分の至らなさを強く感じた日々はありませんでした。その中で、努力は必ずしも報われないということを身に染みて理解できたのは良い経験になったと思っています。この残酷さを知ってもなお、ひたむきに努力できる人は強い人だと思うので、今後はそこを目指して頑張ろうと思います。
結構書いてきましたが、ブログをきっかけに4年間を見つめ直していく中で、これも書きたい、あれも書きたいと思ってしまいます。なので、もう少しだけ…
一回生の春合宿で早気を直さずにいて、新人戦形式の練習中、大前の3本目を抜いた時に「帰れ!」とコーチに思いっきり怒鳴られた日のこととか…。当時の主将をされていた津田さんが監督コーチの反対を押し切って僕をメンバーに上げてくれた日のこととか…。コーチに怒鳴られた時は「うるせぇ、絶対に4本目中ててやる。」と思って3中し、さも平気かのように退場しました。ですが、この後の昼食では一人で半泣きになりながら食べたのを覚えています。当時のメンバー基準である週間的中率0.75を二週間連続で上回った事と早気ではあるものの改善傾向にあったことから津田さんは上げる決断をしてくださいました。しかし、2〜3週間後には早気に戻り、的中率も6割前半にまで下がったためメンバー落ちしてしまいました。当時は津田さんの目が見れなかったですね。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私は叱られてばかりでしたから、こんな日々が沢山思い出されます。
こんなダメダメな私が色んな経験と失敗をして最後までやり切れたのは、私の同期がとっても優しい人達だったからです。私の同期は他人に寄り添い一緒に頑張ってくれるタイプの良い奴らでした。そんな同期と戦った最後の年は一日一日が戦いでした。私が副将に立候補した時は、最後を後悔の気持ちで終わりたくない、終わってほしくないから最後の年は(優しい同期のように)部員と寄り添い一緒に頑張る副将になりたいと話したことを覚えています。これは三回生の時に、最後まで諦めずにもの凄い熱量で黙々と練習している先輩の姿から沢山の勇気をもらっていたので僕もそうなりたいと思ったからです。練習中での私の声掛けについて書いてくれている同期がいますが、それを見ると少しはできていたのかなと思います。「部員に頑張れと言うのは実は自分に向かって言っているんだ。」という宮本コーチのお話がここで生きました。(下回生の時に「宮本コーチの教えは後に効いてくる。」という話を聞いたことがありますが、本当でした。)同じ熱量で頑張っている同期の姿を見て、毎日のように勇気をもらっていました。
同期へ
本当にお世話になりました、ありがとう。これからもよろしく!
猪尾監督、宮本コーチには大変お世話になりました。最後の最後まで少しは期待されていたと感じていたのでなんとか自分の力でその期待に応えたいと考えていました。また、チームを支えたいと考えていました。時には私に対して声掛けもしてくださっていましたから尚更です。この四年間で成長できたのは、監督・コーチが私に厳しく接してくださったからだと思っています。私にその原因があるということも勿論あるのですが駄目な部分に気づく機会を与えて頂きました。今後社会に出てから何かミスをした時、挫けそうになった時には監督コーチから叱られていた日々が思い出されると思います。それと同時に、叱ってくださるだろうなと言葉すら出てくるかもしれません。直接叱られていなくてもそういったところで今後の私の人生の根底で支えてくださると思っています。4年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
家族へ
高校の時から今まで色んな場面で心配を掛けたと思いますが、最後まで自分のしたい弓道をさせてくれてありがとうございました。7年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
最後になりますが、私が現在に至るまで7年間弓道に打ち込めたのは、関わってくださった方々との大切なご縁のおかげです。特に、北陸高校弓道部に支援をしてくださった方々、一時でも心配をしてくださった方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげで今の私があります。自分の成績で感謝を伝えることはできなかったのでこの場を借りて言わせてください。
あの時は温かいご支援とお心遣いありがとうございました。当時の私では到底向き合えなかった事でしたのでとても勇気をもらいました。心の底から感謝しています。
関西大学体育会弓道部
男子副将 坪田竜司
社会安全学部 四回生 経験者
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